極左より左、極右より右

takase222015-04-01

いよいよ4月で新年度だ。
桜がいたるところで満開だ。中央線で通勤しているが、沿線に桜が多いことに驚く。視界が急に明るくなると、そこは桜の木が何本もある公園だったりする。「おお」と声が出てしまう。やはり桜は特別華やかである。
猿つかい芸人の村崎太郎さんが、猿の次郎が、他の花には無関心なのに、桜の開花にだけはうれしそうに反応すると言っていたのを思い出した。
市ヶ谷のホームからお堀の土手の桜がきれいに見える。手前の釣り堀には、まだ春休み中なのか子どもたちがのんびり釣りを楽しんでいた。(写真)
今日は雨がぱらついたが、週末は花見ができるだろうか。
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日の本を駅伝のごと桜咲く   (青森市)浅田 剛

朝日俳壇(30日)にあった一句だが、桜前線が北上して次々に開花宣言していくさまは駅伝のようでもある。
で、歌壇を見ていたら、奈良市)直木孝次郎という名に目が止まった。
あの日本古代史の直木先生だろう。ネットで調べたらもう96歳で、元気でいらっしゃるようだ。

鹿児島のかるかん持ちて尋ね来ぬ五十五年前学生たりし君

私も昔お世話になった先生や恩人に会いたくなってきた。
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きのうの勝谷誠彦さんとの対談。
後半はジャーナリズム論になった。

私が、ベトナム戦争時は、企業メディアが積極的に戦場取材を行い、フジテレビ(サイゴン支局長)や日経新聞サイゴン支局長)、共同通信プノンペン支局長)などの犠牲者を出していたのが、雲仙普賢岳火砕流事故からテレビ局や新聞社が一気に社員の安全に重きを置くようになったという流れを説明。
結果、アフガンやイラクでフリーが活躍することになるが、行きついたのが3.11大震災の福島原発周辺からのマスコミの他に先駆けての退避という異様な行動だったこと、それが今では、政府が危ない所には取材に行くなとフリーの旅券を取り上げるまでになっていることを批判した。
先日の遠藤正雄さんの取材を引いて、1月に「イスラム国」からクルド民族が奪還したコバニには、すでに外国人ジャーナリストが500人も入っているのに、日本人が行かないでは、情報が日本に届かなくなってしまうとも批判した。
勝谷さんとは、政治的な事件の評価では、ほとんど相容れないが、この点では意見が一致した。

勝谷さんは自他ともに認める「右」だが、私は他の「右」の人たちとの付き合いもけっこうある。
例えば櫻井よし子さんは「きょうの出来事」キャスターのころからの長いお付き合いだ。
近年、右翼的なタイトルの本を立て続けに出版してがんばっておられる。かつては特定の政治的立場を出しておらず、私など「櫻井さん、どうしちゃったの」と言いたくもなる。

それから去年亡くなった岡崎久彦さん
私は岡崎さんがタイ大使のころ、バンコクに駐在していて知り合った。
サンデープロジェクトという日曜朝の番組でよく特集を制作していたころ、田原総一郎さんが岡崎さんをスタジオに呼びたいというので、私が出向いて行ってお話をした。岡崎さんの知名度が急上昇したのは、サンプロに出たことがきっかけだったと思う。
安倍首相のブレーンで「親米保守」の代表格だった。「アングロサクソンについていけば安全なんですよ」という岡崎さんの安全保障の考え方には、私はとてもついて行けなかったが。

勝谷さん、トークでさかんに、「きょうは、右の僕と左の高世さんが・・・」という言い方をしていた。
私は「左」だとは思っていないが、そもそも「右」と「左」とは何か、それは統合できないのか、とずっと思ってきた。
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20101229

政治には、絶対に正しいという立場はありえず、相対的な正義しかない。
自分と立場が近い人が言うから賛成、嫌いな立場の人が主張することには反対、というのではなく、自分の頭で考えて、なるべく将来の日本と世界が壊れないような選択をしたいと思う。
さらに敢えて言えば、「極左より左、極右より右」の立場から世の中をひっくり返したいと夢想しているのだが。