救援を求めるコバニ

takase222015-03-28

昨日、今日と「報道特集」の編集と放送の立ち合い。
写真は、放送前のリハーサル中の遠藤正雄さん。
無事放送が済み、番組スタッフのみなさんと打上げでいっぱい飲んで帰路に着く、
疲労と安堵からか、電車で座ったらすぐにうとうと、気がつくと隣の人の肩に頭をあずけて寝ていた。

報道特集の【「イスラム国」から奪還!最前線の町】はいかがでしたか。

遠藤さんは、クルド勢力が奪還したトルコ国境の要衝コバニに3月5日から12日まで入った。
2月7日に旅券を取り上げられたフリーカメラマンの杉本祐一さんが取材しようとしていたのが、このコバニだった。外務省は、この旅券取り上げが、旅券法19条の「名義人の生命、身体または財産の保護のために渡航を中止させる必要」がある場合に返納を命じることができるという規定に基づく措置だと説明した。1951年に旅券法が制定されて以来、この種の返納命令は初めてで、我々この業界にいるものにとっては大きな衝撃だった。
さらに、この措置が国民の多くから支持されたことがまた驚きだった。つまり、「危ないところには日本のジャーナリストは行かなくてよい」というのだ

今回の遠藤さんの取材は、こうした風潮への反論になっていると思う。
きょうの特集を「報道とは何か」を考える材料にしてもらえるとうれしい。

コバニは、「イスラム国」が攻めてきて激戦の末、一時主要部が占拠された。この結果、15万人もの人々がトルコなどへ避難した。
いま、彼らが帰還しはじめたが、故郷のあまりの荒廃に復興もままならず、一部が再びトルコに戻ろうと国境に押し寄せている現状がある。

その困難の第一は、大量の不発弾や死体が散乱し、安全が確保できないこと。爆発事故や疫病の流行が懸念される。「イスラム国」が残して行った「仕掛け爆弾」も数多い。
さらに、町の建物の7割が破壊され、一面ガレキの原になっているのに、これを片付け、建て直すのに必要な重機が全くないこと。これは、日本の東北大震災のあとのガレキ撤去の大変さからも想像できるだろう。
根本的な問題として、トルコが国境を厳しく管理していて、物資や人の往来を制限していることがある。国連や赤十字などの国際機関やNGOなど援助団体もコバニに入れない状態が続いている。

ジャーナリスト歴40年のベテラン遠藤さんにして、これまでで最も生活条件の悪い現場の一つだったという。
そもそも食べ物、飲み物が手に入らない。通常は、戦場や紛争地であっても、お金さえ出せば、肉も果物も手に入る。しかし、コバニには物資が入らないからお金があっても入手できない。唯一、クルド勢力が配給する小麦粉で作ったナンがあるだけだった。
車がないから、取材はプレスツアー以外、ほとんどが徒歩で、毎日10キロから15キロ歩いてだいぶ痩せたという。

遠藤さんは、スペイン、ブラジル、トルコ、イラン、アルジェリアなどから来たおよそ10人の外国人ジャーナリストと一緒になった。
かれらジャーナリストに、現地の人々は口々に、破壊の激しさ、現状の困難さを世界に伝えてくれと訴える。ジャーナリストたちは、その声を伝えることで、支援を後押しし、復興に寄与したいと、厳しい条件のなか、懸命に取材していた。

状況がひどいからこそ、ジャーナリストが求められているのだ。
(つづく)