朝日と吉田清治の共謀関係はあったのか

takase222014-09-22

彼岸花が咲いていた。
暦どおりだ。
この花、葉っぱのない太い茎が地面からニョキっと突っ立ち、そのてっぺんに一つだけ真っ赤な花が咲く。とても変わった花だ。
曼珠沙華(まんじゅしゃげ)とも呼ばれる。
《日本に存在するヒガンバナは全て遺伝的に同一であり、中国から伝わった1株の球根から日本各地に株分けの形で広まったと考えられる。また三倍体であるため種子で増えることができない。》ということだそうだ。(Wikipediaより)
大陸からやってきた、たった一つの球根、それが日本の津々浦々に人から人へと株分けされていく・・・ロマンチックなイメージを喚起するではないか。
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NHK「週刊ニュース深読み」のディレクターが映像素材を返却に来社。
シャリア(イスラム法)がどうした、13世紀のイブン・タイミーヤのサラフィー主義がああでこうで・・とかなりオタクな議論になったのでスタッフが心配したが、視聴率はいつもより良かったという。
この番組放送のあと、常岡浩介さんへの出演申し込みが三つの番組から立て続けに来ている。その前から決まっているのが一つあるから四番組だ。
残念なことに、彼はいま海外なので、今週の出演は無理。
イスラム国のニュースが毎日流れるのに、そもそもイスラム国って何者か分からない。
実際にその「国」に行った人に聞きたいとなるのは当然だ。今まさに求められる人。
常岡人気に火がついてきた感じだ。
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さて、きのうのつづき。
朝日記者OBのジャーナリスト、長谷川熙(ひろし)さんが『AERA』を去った。
実は、あるテレビ局の知り合いから問い合わせの電話が入って初めて知ったのだった。
朝日を去る決断にかんして、長谷川さんは『週刊文春』記者にこう語っている。

「88年から89年頃、『AERA』編集部で私のデスクの真向かいに座っていたのがXという男です。(略)私はXがヒソヒソと電話で語り合っている場面を度々目撃しました。その相手こそ吉田清治氏だったのです。Xは『(吉田氏のような人は)世間の圧力が強くなると日和ってしまう』とか『違うことを言い出す』とか、概ねそのようなことを言っていました。『取材するこちらが常に手綱を強く持っていないといけない』という趣旨のことも話していた。」
このXは、その後、大阪本社に戻り、大阪本社企画報道室長、論説委員、論説副主幹などを歴任し、91年の『女たちの太平洋戦争』という長期連載、夕刊の『窓』などで吉田証言を繰り返し重用する中心人物になっていくという。

長谷川さんは言う。
朝日新聞、特に大阪本社と吉田清治氏とは、どこからどうやって繋がりが芽生え、どんな関係が続いていたのか。それこそがこの問題の核心のはずです。ところが先般の検証記事はそこにまったく触れていない。私は、Xが吉田証言の怪しさを分かっていながら、証言を覆さないよう背中を押し、途中からは吉田氏と捏造の共謀関係に入った可能性すらあるのではないかという疑いを持っています。今後はこの疑惑の真相解明に徹底的に取り組みたい」
「捏造の共謀関係」はあったのか。