死は解放

takase222014-02-05

歳をとると訃報が気になる。
また、知った人が亡くなった。
《上原 一慶氏(うえはら・かずよし=京都大名誉教授・中国経済論)2日午後1時10分、多発性骨髄腫のため大津市の病院で死去、70歳。東京都出身。》(時事)
70年代の学生中研時代、新入生歓迎を兼ねて、毎年10人の中国研究者を招き、大学を回りもちで講演会を開いていた。安い謝礼だったが、意気に感じて多くの研究者が快く引き受けてくれた。上原さんは当時期待の若手研究者で、親しみやすい風貌もあって人気講師の一人だった。当時は駒沢大学の講師か助教授で、研究室に遊びにいったりもした。ご冥福を祈ります。
亡くなる人をおくる言葉といえば、
「あまりにも早すぎる」「惜しい方をなくした」「大きな損失だ」「まだまだお元気でいてほしかった」
など「いかないで」と引き止めようとするものが多い。
死を悼む気持ちから自然にそうなるのは理解できる。

サザエさんの波平役の声優、永井一郎の葬儀では、カツオ役の富永みーなが「もっといっぱい一緒にお風呂に入りたかった。もっと叱られたかった」と弔辞を読んでいた。

先月、心にしみる追悼の言葉があった。
《女優・淡路恵子さんが11日夕、都内の病院で亡くなった。80歳だった。淡路さんは昨年7月に直腸がんと食道がんが判明し、手術を受けていた。萬屋錦之介さんと結婚後、女優業を引退していた淡路さんの、女優復帰映画となった「男はつらいよ・知床慕情」でメガホンをとった山田洋次監督が追悼のコメントを発表した。
 山田監督は「高度成長期の裏で酒場で生きていく女性など、特徴のあるタイプの約を演じることができる、戦後の映画史で非常に重要な役割を担った人でした」と“女優・淡路恵子”の類い希なる魅力を解説。

 「華やかな人でしたが私生活ではお子さんを亡くされるなど、つらい人生でもあり、そういうつらい思いからもようやく解放されたのかとも思います」と波乱万丈の人生に言及し、追悼した。

 淡路さんは、1953年にフィリピン人歌手ビンボー・ダナオと結婚。長男で俳優の島英津夫と次男をもうけたが、65年に離婚。翌年の66年には俳優の萬屋錦之介さんと再婚し、三男と四男を出産した。
 しかし90年には三男がバイク事故で急逝。97年には元夫の萬屋さんが亡くなり、10年には四男が首つり自殺した。浪費癖のあった四男は、04年に淡路の自宅に窃盗に入り、住居侵入罪で逮捕され、実刑判決を受けていた。》(写真は若い頃の淡路恵子

死は「解放」。たしかにそうだなと胸に落ちた。