今週の歌壇(8日)。
常連の中村桃子さん、二首入選。
教室の湿度上昇わたしたち三十六個のシューマイになる
長い髪五分でパッとあみこんで準備は完ぺきプールの季節
連日暑い暑い日がつづく。
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きのう吉田昌郎氏について書いたが、彼を「英雄視すべきでない」という意見も当然ある。
企業人としての制約の中での行動、発言もあり、また東電本社と対決して行った行動と発言もある。一から十まで吉田氏が正しかったとはいわない。
東電という企業が、きわめて不誠実な体質を持っていることについては何度も書いてきた。
『ルポ イチエフ』の著者、布施祐仁氏は、ツイッターでするどくこう書いている。
《東電は、下請けの労働者が怪我や病気を患ったり、不当に賃金をピンハネされていても、直接契約関係にないことを理由に責任をとろうとしない。にもかかわらず、いざ過酷事故となったら、契約にはない、しかも命の危険すらある作業をやってくれと頼む。これはムシの良すぎる話ではないか。》
吉田氏は、暗黒の中、きらりと輝いて散っていった。
その仲間たちも素晴らしかった。
『死の淵を見た男』を書いた門田隆将氏の講演録から、かれらのモラルを示す一場面を紹介する。
《3月15日朝、いよいよ2号機のサプチャン(サプレッションチェンバー:原子炉の圧力上昇を抑えるための水冷装置)の圧力がゼロを示した際、これでアウトだと思った人は多い。その何時間か前のことだが、緊対室で吉田所長はふらっと立ち上がって、テーブルに背を向けて自分の席の床に座り込んだ。そんな光景を周りの何人もの人が見ていて、いよいよ終わりだ、と感じたようだ。この時、吉田さんは目をつむって一緒に死んでくれる人間の顔を思い浮かべていた。その時600人以上の人がまだ福島第一には居たわけだが、吉田さんは、その後に爆発音がして、2号機のサプチャンの圧力がゼロを示した時、ついに「各班は最少人数を残して退避」という命令を出した。多くの職員が大混乱の中で去っていく時、緊対室から梃子でも動かない若者もいた。
そんな時、佐藤眞理という防災安全グループの女性が「あなた達には、第二、第三の復興があるのよ。だから出なさい!」と大声をあげて、彼らを緊対室から引きずり出した。生きるか死ぬかのぎりぎりの場面だった。これによって、あの有名なフクシマフィフティの状態になった。実際は69人だったようだが、この言葉も日本のマスコミではなく、海外メディアが名付けた訳だから日本のメディアは情けない。しかしいったん避難した職員も、また戻ってきて対応に参加。こういう戦いがあって、あの暴走原子炉を止めたという事実がある。要するに「人間が止めた」ということだ。》http://agora-web.jp/archives/1523963.html
『死の淵を・・』269頁以下の感動的な場面だ。
若い人に「あなたたちには復興がある」と言って外に出すということは、残る者には「復興」はない、つまり死ぬことが前提となる。
命を投げ出すことをいとわない強烈な使命感に心打たれる。
門田氏は「あたかもあの太平洋戦争下で若き兵士たちに戦後の復興を託すようなものだった」と書いている。
そう、そこは戦場だったのだ。