ここ数日は、すばらしい人や出来事との出会いで感動の日々が続いている。
人間は宇宙の「感動器官」なので(だと思うので)、人間本来の日々。ほんとうにありがたいことである。
きのう「第15回 チベットの歴史と文化学習会」(文京区民センター)があり「チベットとモンゴル・文革の時代」がテーマだった。
文革は私にとって特別の関心事だ。
高校時代は文革にかぶれて、毎晩「北京放送」を聴いていた。内容といえば、今の平壌中央放送なみで、農民たちは「毛主席万歳、万々歳」と声をそろえて称えたのでした・・・といった調子のプロパガンダばかり。あんなのになぜかぶれたのか、今となっては不思議である。
12時25分という中途半端な時刻にアナウンサーが「それでは、日本の同志のみなさん、友人のみなさん、さようなら」と放送終了を告げるとインターナショナルが荘重に流れるのだった。
大学で「中国研究会」に入り、文革とは一人の指導者による絶対権力の掌握とそのための大粛清であり、人々にとっては虐殺と人権侵害と飢えに他ならなかったことを知った。しかし、少数民族の運命にまで視野はとどかず、いつか勉強しなければと思っていたのだ。
学習会では講演が二つあった。
内モンゴル自治区生まれの楊海英(ヤン・ハイイン)さん(=モンゴル名:オーノス・チョルト、日本名:大野旭(おおの・あきら)さん)による「中国文化大革命とモンゴル人ジェノサイド」。
67年末から70年にかけての内モンゴル自治区で起きた「内モンゴル人民革命党員大量虐殺事件」を公式資料と研究者による独自調査によって詳細に分析し、これをジェノサイドと規定。中共の漢族至上主義と少数民族抹殺の意図は今も変わっていないと語った。
そして、チベット生まれのチュイデンプンさんによる「世界の謎を解くカギ−プンワンが模索した新しい弁証法」。
プンワンとは、かつてチベットの中共側の幹部だった人だが、1960年、38歳のときに「反革命」のレッテルを貼られて投獄され、以後18年間獄中で孤独な生活を送った。激しい拷問を受けながら独学で哲学を研究し、独特の弁証法にたどりついたという。
とくに楊(ヤン)さんの膨大な資料に裏づけられた虐殺記録は説得力があった。虐殺の人数も方法もすさまじく、胎児取り出しなど女性に対する暴行は残酷極まりないものだった。
漢族の大量移住策で、いまでは内モンゴルではモンゴル人と漢族の比率は1対10になり、モンゴル人は故郷で絶対少数者になってしまい、言語や独自の文化も危機にあるという。
楊さんは、日本でチベットへの関心が高いことはすばらしいと思いますが、モンゴルとウイグルの問題も忘れないで下さいと訴えていた。ちゃんと勉強しよう。
おわりに、司会の貞兼綾子さんから、きょうは大阪から珍しい人がお見えになっていますと紹介されてステージに出てきたのは、劉燕子(リュウイェンズ)さん。
『天安門事件から「08憲章」へ』など中共の自由弾圧に抗する著作を翻訳・出版するかたわら、積極的に講演や集会で発言し、弾圧された活動家らへの直接支援もしてきた勇敢な女性だ。
私がはじめて会ったのは、2年前の「劉暁波さんのノーベル平和賞授与を祝う会」で。すばらしい詩の朗読にききほれた。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20101120
劉燕子さん、「一言」と求められてマイクを握ると「きょうは、二人の話を聞いているのがつらくてたまりませんでした」と声を詰まらせた。
そして、「中国人としてここにお詫びします」と深々と頭を下げたのだった。
驚いた。
中共と闘っている彼女を、漢族だからといって、誰も責めるつもりはないし、謝る必要などないと思ったはずだ。会場にはとまどいの沈黙が広がった。
最後にチベット人講師のチュイデンプンさんが、「劉さん握手してください」と言ってステージの真ん中で握手。「中国人と握手したのは、生まれて初めてです」と笑った。会場から拍手が湧き起こった。
漢族で中共を批判し民主化を訴える人はたくさんいるが、他民族への平等意識を持つ人は非常に少ない。そこには漢族中心主義、中華思想があるのだろう。
劉燕子さんは、民主化と民族の平等をともに願うまれな漢族の一人である。
閉会後、彼女に近づいて「感動しました」と声をかけた。
こんど、彼女が去年11月に翻訳・出版したツェリン・オーセル『チベットの秘密』を読んでみよう。
写真は劉燕子さん−彼女のブログから
(きょうも「アルジェリア」の続きをとばしてしまいました。ご容赦を)