生活環境主義は里川の思想

takase222012-12-10

月が替わってカレンダーをめくると、「光陰箭(や)の如し」の書。
建仁寺派管長の小堀老師の書だそうだ。
ここ十数年、カレンダーだけはぜいたくして「日本の心 墨蹟」というのにしている。禅林各派の管長、師家の書が月替わりに登場する。禅寺の板木(はんぎ)に「生死事大 光陰可惜 無常迅速 時不待人」=生死は事大なり 光陰惜しむ可し 無常は迅速なり 時人を待たず」と書いてあるのだそうだ。カレンダーを買い行ったのがついこないだのような気がする。まさに光陰如箭。
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嘉田さんの研究者としての道筋はとても面白い。
探検部に所属し、アフリカはタンザニアの田舎に半年滞在するなどの体験も大きな意味があっただろうが、学問的にはその後のいくつかのきっかけが研究の方向性を決めたらしい。最初はアメリカだったという。
1970年代、アメリカの社会学では「共有地の悲劇」(ギャレット・ハーディン)という論文が話題になっていた。イギリスなどの共有の牧草地では、個人が勝手に羊を増やすと草が無くなり共有地は維持できなくなる。だから資源のことを考えると、共有地はだめで、個人所有がよいという説で、これがアメリカでは主流の考え方だった。
嘉田さんはこれを読んで「まったく解釈が逆だ」と感じた。日本の共有地を見ると、ルールや制限がきちんとあって、自主的に管理され、けっして資源は枯渇しない。だから本当は、「共有地が成立していないことの悲劇」だと嘉田さんは言う。
先住民の豊かな共有地とその環境文化を破壊したアメリカ大陸で、「共有地の悲劇」のような考え方が主流になっている。嘉田さんは、それなら、日本の農村で土地や水の資源利用の仕組みを研究しようと思ったという。
その後の徹底したフィールドワークから「生活環境主義」が打ち立てられた。
環境問題へのアプローチにはいろいろある。
まず、「近代技術主義」は、自然科学的知識をベースに、例えば、水質浄化には汚濁物質を下水管で集め、下水処理場を作りというふうに、近代技術で解決しようとするもので、効果が目に見え、行政が最も採用しやすい。
他方、「自然環境保全主義」は、希少生物や、特別の生態系などをまず保護するというもので、生態学や生物学をベースにしている。水質保全のためにヨシ帯を守ろうなどという運動がそれである。
環境政策は、この二つの対立的構図にあったが、嘉田さんから見ると、いずれも自然を「客体化」して、人間社会とは別なシステムと考える傾向にあるという。
嘉田さんたちが唱える「生活環境主義」は、「その地域に暮らす居住者の生活知や伝統文化、生活規範や社会組織をもとにして、生活システムの中での環境とのかかわり方を下敷きにして、地域ごとに住民にとって望ましい環境政策を生み出そうという立場」だという。学問的には、歴史学社会学民俗学をベースにしており、人間と自然を対立的にとらえるのではなく、自然と「共生」し、自然と「共感」を育むことができる相互作用、あるいは「かかわりのあり方」を柱においているという。
要は、人間と自然は一体として歴史的にとらえられるわけで、自然を守るという目的のために、そこに住んでいる人を追い出してサンクチュアリーを作ったりする方法論とは全く異なる方向を向く。
嘉田さんたちの本には、里山とならんで「里川」という言葉がよく登場する。自分たちの川として意識された川は汚物が捨てられずしっかり管理されてよい環境が保たれてきた。しかし、その川が一級河川などとランク付けされ、管理権限が村から取り上げられるにつれて「川との距離感」が大きくなって川が汚れていく。人間の暮らしとの「近さ」が重要なのだという。
水との距離が大きくなることは、環境が損なわれただけでなく、災害にも脆弱になる。震災で飲み水がなくなっただけではなく洗濯もできず、さらには肝心なトイレが使えなくなったのだ。
水との距離を縮め、すべての川が里川になり、人々が、自分のコミュニティとその自然を、故郷として愛しむならば、環境も守られ、災害にも強い地域ができる、というふうに私は理解した。
こういう学問をやってきた嘉田さんであれば、福島の原発事故で16万人もが故郷を離れて暮らしているという現実を見過ごすことができなかったのだろう。