何を求めて戦場に行くのか?

takase222012-08-26

 うだるような気温のなか、ルリマツリ(瑠璃茉莉)が元気に咲いている。
 面白い名前だなと調べてみると、南アフリカ原産だとか。ルリ色で、花の様子がマツリカ(ジャスミン)に似ていると日本で付けた名前らしい。暑さをものともせずに、涼しげに咲くのがいい。
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 「戦場ジャーナリスト」は普段どんな生活をしているのですか?
 ある雑誌からこんな質問を受けた。
 世間では、戦場を渡り歩く、傭兵のようなジャーナリストがイメージされているのだろうか。
 環境ジャーナリスト、軍事ジャーナリストのように専門分野に特化した名称ではない。私は、日本には「戦場ジャーナリスト」という職種の人はいないと思う。
 あるジャーナリストが、さまざまな対象を取材するうち、戦場で取材している期間、「戦場ジャーナリスト」あるいは「戦場カメラマン」と呼ばれるにすぎない。
 例えば、綿井健陽さんは、イラク戦争を長期に取材したあと、光市母子殺害事件裁判に関わり、今は原発事故に関して精力的に活動している。たぶん、自分を「戦場ジャーナリスト」だとは思っていないだろう。
 山本美香さんは戦争・紛争地取材の比重がかなり高いジャーナリストだが、雲仙の噴火の取材をしたことで、「突然大切な人を失なうのは災害も紛争も同じ」ということから紛争地を取材するようになったそうで、「戦場ジャーナリスト」と呼ばれることをいやがっていたという。
 別の見方をすれば戦場を専門にしたら日本では仕事にならない。食えないのである。
 世界で戦争・紛争は途切れることなく続いているが、それらすべての報道が日本で「商品」として売れるわけではない。アフリカのどこかで行われている虐殺や戦争は取材しても売り先が見つからないだろう。シリア内戦ですら、つい最近まで日本での関心は低かった。国民が興味を持たないものをマスコミは取り上げない。(その逆に、マスコミが報じないから関心がないのかという議論はここではやらない)
 世界のメディアをマーケットにすれば、より専門的な「戦場ジャーナリスト」は仕事として成立しうるだろう。
 だが、尊敬する伝説の「戦場カメラマン」ジェイムズ・ナクトウェイ(James Nachtwey)でさえ、エイズ、公害、麻薬など、戦争・紛争以外のものも取材対象にしている。ほとんどが「怖い」取材だが。(http://www.jamesnachtwey.com//
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 「戦場ジャーナリスト」は何を求めて、どんな志をもって戦場に行くのでしょうか?
 こういう質問も、なかなか答えにくい。
 山本美香さんの殉職の報道の影響で、ジャーナリストたちはみな世界の平和だとか、命の尊さだとか高い理想をもって戦場に向かうかのようなイメージが形成されているようだ。
 (断っておくが、山本さんが女性や子供、老人など弱者に寄り添う取材をしてきたことは事実であり、彼女の業績を讃えることを疑問視しているのではない。)
 私の尊敬するジャーナリストに橋田信介さんがおり、このブログでも何度か紹介した。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20080116
 橋田さんは、04年、イラクで、甥の小川功太郎さんとともに襲撃されて亡くなった。橋田さんの著書に『イラクの中心で、バカとさけぶ』があり、その冒頭節は「戦争を祈るヘンな男たち」で、バンコクの食堂で、橋田さんと盟友の鈴木カメラマンが会話をするところからはじまる。
 《イラク戦争が始まる120日前。
 いつもの場所、いつもの時間、いつもの会話。
 「ヒマだなー」
 「戦争でも起こらないかなー」
 「アメリカは本当にやるのかなー」
 「アメリカはアホだから、ひょっとしてやるんじゃねーの」
 「やるんだったら、早めにやってほしいなー」》
 橋田さん、何を求めて戦場に行ってたんですか?
(つづく)