危機一髪だった首都圏の原発2

takase222012-01-01

遅くに起きて昼ごろ雑煮。
セリの香りがうれしい。
かみさんは両親が富山出身で、鶏肉ダシの醤油味だ。生まれは東京なので、ひょっとしたら東京風なのかも。
私の実家(山形県置賜地方)とあまり違わないので、助かっている。
違いは、かみさんの雑煮には、焼き豆腐が入る一方で、うちの方では必ず使うゴボウがないこと。
思い返すと、小さいころは、お正月が来るのが実にうれしかった。楽しみの一つには、年末年始の晴れのご馳走がある。
昔は普段の食べ物が質素だったから、今の子どもたちには想像できないほど、わくわくしながらこの時期を過ごしたものだ。山形の置賜地方だと、年末は、アズキカボチャ、カラカイ(エイの干物の煮付け)、鯉の甘露煮、打ち豆とゼンマイの煮物、正月は数の子豆などが定番のご馳走だった。
食べながら酒が進み、夕方までコタツで寝た。目を覚ますと家族みな寝ていた。
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元旦早々無粋だが、金正日死去のニュースがあって、去年12月17日の「危機一髪だった首都圏の原発」を書き終えていなかったのでここで書いてしまいたい。
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20111217
『世界』1月号に「東海第二原発なぜ廃炉にしなければならないか」という記事が載っている。筆者は元朝日新聞科学医療部記者の添田孝史氏。この記事に書いてあることは実に恐ろしい。危機一髪だったというのだ。
《東海第二原子力発電所茨城県東海村)は東京駅から115kmのところにある首都圏唯一の原発だ。津波を防ぐ側壁を新設する工事が終わったのは東日本大震災のわずか2日前。メルトダウンの危機はぎりぎりで回避されていた》
東海第二は、日本原子力発電(原電)の原発で、東電と東北電力に売電している。
地震直後、東海第二は揺れのため自動停止。東京電力の送電線から送られてくる外部電力は2系統ともとまった。
非常用ディーゼル発電機3基が始動して原子炉の冷却を始めたが、うち1基は津波の影響ですぐにとまった。発電機を冷やすためのポンプが津波で約2メートルの深さまで水没したためだ。
浸水の原因は、新設した側壁の一部でケーブルを通す穴をふさぐ作業が終わっていなかったためらしい。残り2台ある冷却用ポンプは無事だった。これを使って非常用ディーゼル発電機を動かし続けることができた。
13日には外部からの送電が回復。15日には冷温停止状態にこぎつけた。》
ほんとうにギリギリの事態だったわけだ。
《原電は、従来は高さ4.86メートルの津波を想定していた。2007年から見直し作業を始め、想定する津波高さを0.86メートル引き上げ5.72メートルにした。それに合わせ。これまでより1.2メートル高い側壁を作り始めたのは2009年7月だった。
東海第二を実際に襲った津波は高さ5.3メートル。古い側壁より40センチ高く、新設した側壁の上端まであと80センチだった。
工事が間に合っていなければ、もしくは津波がもう少し高ければ、すべての非常用ディーゼル発電機が停止し全電源喪失の事態に陥るところだった。「福島第一の事態になった可能性は否定できなかった」(電源広報室)》
なぜ原電が対策工事を進めたか。
2002年7月、政府の地震調査研究推進本部地震本部)が、M8.2前後の津波地震日本海溝のどこでも発生する可能性があり、その確率は今後30年間に20%と予測。
ところが政府の中央防災会議(内閣府)は04年、福島沖から房総沖では「繰り返して起きていない」として、この予測を受け入れなかった。
一方、茨城県は、防災会議が「検討対象としない」と切り捨てた津波地震を想定し、07年10月、独自の津波浸水予測を公表した。津波地震が、房総沖から茨城沖まで伸びる震源域(M8.3)で発生した場合、東海第二で、津波高さが、先にあげた5.72メートルと想定したのだった。
茨城県に自分たちより厳しい津波想定を公表されてしまった原電は対策見直しを余儀なくされた。そこで側壁の新設を始め、東日本大震災の2日前に工事が終わった、というのが顛末だ》
ぞっとする話である。
東海村の村上達也村長は、東海第二の廃炉を強く主張している。
東海村といえば、1956年に日本原子力研究所が設置され、翌年初めて原子炉が臨海に達した、いわば原発のふるさと。その村長が廃炉を主張するには、よほどの危機感がある。
第一には、30km圏内の人口が17ヵ所の原発の中で最も多い。
「30キロ圏内には100万人、福島の10倍の人がいる。とても避難できない」(村上村長)。
第二は古さで、運転開始からすでに33年経つ。「発電用原子炉施設に関する耐震設計審査指針」(旧指針)が定められたのが1978年で、《東海第二は、指針のできる前に安全審査が終わっている。いわば「旧旧世代」の原発といえる》
第三は、去年3月の地震のあと、周辺の地震の可能性が高まったことだ。
地震本部は2011年11月、房総沖から三陸沖にかけての日本海溝で今後もM9クラスの津波地震が30年以内に30%の確率で起きる可能性を指摘している》
ぜひ廃炉にしなくては。