在日外国人の「お母さん」の偲ぶ会

takase222011-10-25

9月11日に放送された、情熱大陸石巻日日新聞」の回が9月のギャラクシー月間賞に選ばれた。
ギャラクシー賞とは、放送批評懇談会が「日本の放送文化の質的な向上を願い、優秀番組・個人・団体を顕彰するために、1963年に創設された」賞で、テレビ部門は毎月「月間賞」が選ばれる。http://www.houkon.jp/galaxy/index.html
9月の月間賞は以下の4番組だった。
東日本大震災6か月「取り残される障害者」9月11日放送=日本放送協会
情熱大陸石巻日日新聞」9月11日放送=毎日放送 ジン・ネット
●「それでも、生きてゆく」7月7日〜9月15日放送=フジテレビジョン
飛び出せ!科学くん「最後の地球?大冒険スペシャル」9月24日放送
まず、取材対象が素晴らしかった。それからテレビ番組はチームで作るものだが、これにかかわった人々がみな最高のパフォーマンスをしたおかげだと思う。ありがたいことだ。
23日の日曜日、都内で「木村妙子さんを偲ぶ会」があった。
知り合ったのは、たぶん15年以上前だと思うが、実に教えられることの多い方だった。亡くなったのは8月末だった。
《東京都新宿区の新大久保で、困窮する外国人の救済活動に取り組むNPO法人「アジア友好の家」の副理事長、木村妙子さんが75歳で亡くなった。病気で苦しむ外国人の相談に乗ったり、遺骨を故国に送り届ける活動を私財をなげうって続け、多くの外国人から「お母さん」と慕われてきた木村さん。(略)
長男一男さん(48)によると、昨年9月にがんを宣告されたが、JR新大久保駅近くの事務所には亡くなる直前まで顔を出し、笑顔を振りまいていたという。
 木村さんが外国人とかかわるようになったのは約50年前。生まれ育った新大久保は外国人留学生が多く、清掃活動などを通じ仲良くなった留学生を食事に招いたり、ホームステイさせるようになった。
 「いろんな外国の話を聞くのが楽しい」と多くの外国人と親交を深めたが、ベトナム戦争に翻弄(ほんろう)される在日ベトナム人日中国交正常化に困惑する台湾人らの姿を見て、72年に夫吉男さん(80)と「友好の家」を設立。在留資格取得のため入国管理局と交渉するなど相談があるたび奔走してきた。
 日本の経済成長に伴いアジア各国からの出稼ぎが増えると相談は急増し、「友好の家」は病気や行き倒れた外国人の駆け込み寺になった。木村さんは病気の外国人が訪れて他に方法がないと、自ら治療費を負担して救済にあたった。本来は行政が取り組むべき問題でも「収まるところに収まって、みんなが平和になればいいじゃないの」と手を差し伸べ続けた。93年には、「友好の家」代表者の吉男さんと夫婦で毎日国際交流賞(毎日新聞社主催)を受賞した。
 スタッフとして活動を支えてきた一男さんは「母と同じことはできないので事務所は閉めるが、今後は母の精神を伝える活動をしていきたい」と話す。》(毎日新聞
私は出られなかったが、9月はじめに行なわれた葬儀では、ミャンマー僧とともにたくさんの在日アジア人が声を合わせてお経を唱え、参列者を感動させたという。
偲ぶ会では、挨拶した夫の木村吉男さん(80)が、これまでの妙子さんの活動をふまえて、「人権にイデオロギーを入れるべきではない」と言った。
重要な問題提起だと思った。
(つづく)