11日の朝日歌壇にまた松田姉妹の歌が選ばれていた。もうすっかり常連だ。
「あの山が比叡山やで」運転手さんのごつごつした指の先 (富山市)松田梨子
自信をもって自由に詠んでいる。
俳壇、歌壇では、どんな人の作なのかを想像するのが楽しい。
次のは、若いお母さんか。
いつもより広い世界が見たいからベビーカーより抱っこをせがむ (東京都)森住貴子
ただ、さわやかな気分だけではすまされないご時勢だ。
盂蘭盆会先祖に汚染のこと伝へ古米の餅を供へて偲ぶ (須賀川市) 布川澄夫
さて、きょうは神社の話の最後で、過去ではなくこれからの話。
今後の復興計画が自治体でも検討されてきているが、そこに先人の築いたものを取り入れるべきだとの主張がなされている。
例えば、「希望学」という学問を創始した玄田有史(げんだゆうじ)東大教授だ。
希望学とは、「個人の内面の問題とみなされてきた希望を、社会にかかわる問題として」学際的に考えるというプロジェクトで、釜石市を研究フィールドにしている。
http://project.iss.u-tokyo.ac.jp/hope/hopology/hopology_09.html
釜石市も震災で大きな被害を出し、玄田氏は現地で「試練を希望に」すべく研究を続けているが、復興の見取り図に、地元の「歴史」が組み込んまれていないと指摘している。
《提案される復興都市のイメージ図には、高層の建物や高床式の土地利用などは描かれているが、寺社や神社など古くからの建造物が見当たらないこともある。だが、今回の津波でも釜石の石應禅寺(せきおうぜんじ)は損壊を免れたように、田野畑村、大槌町、仙台市など、被災地でも逃げ込んだ住民の命を救った神社や寺がある。「あそこに逃げれば大丈夫」という思いを、住民は以前にもまして強くしている》
玄田氏は《歴史にはつねに理由がある》という。
(内橋克人編『大震災のなかで』岩波新書P146)
さらに、未来の我々の子孫の立場に立ってみよう。
彼らに原発という「遺産」を残していいのかという大問題を我々自身が抱えている。
原発を稼動させれば、事故がなくとも、廃炉後、危険な放射性物質を気が遠くなるほどの期間、管理しなければならない。
「10万年後の安全」という映画を観た。映画の中では、フィンランドの地中深くに建造中の放射性物質の最終処分場「オンカロ」をめぐって、遠い未来の人類に、どうやって「危険」という警告を発するのかを議論している。(写真はオンカロの内部)
いまの言語も文字も通じないだろう将来にまで、危ないものを残そうとしているのだ。
困ったものを残してくれたと恨まれるのか、よいものを残して感謝されるご先祖になるのか。
我々にそれが問われている。