発送配電の分離とは

東電をどうするかという議論が出てきた。
その中で、電力の発送配の分離という言葉が見られるようになっている。
例えば、きょうの東京新聞の社説「原発行政 電力との癒着を断て」では、「地域独占で『絶対につぶせない』という事情が癒着の背景にあったことを考えれば、発電と送電の分離、地域独占といった電力事業のあり方にも切り込む必要がある」と書く。
去年の今ごろ、知り合いのジャーナリストに、自然エネルギーを盛り上げるには、発送配電を切り離さないとだめだとレクチャーを受けた。発電、送電、配電を別の経営にするということだ。
この三つが一緒になっていて、それぞれの地域に独占会社がある電力供給体制を、私たちは当たり前のように受け入れているが、先進国ではほとんど見られない「古い」ものだという。欧米ではここ20年くらいの間に、発電と送配電が分離される自由化が進んだという。
では、分離されるとどうなるのか。
個々の家庭や企業は、自由に発電会社を選べるようになる。例えば東京の会社が「わが社はエコのイメージをうち出したいから、北海道の風力発電の会社の電気だけを買う」などと選ぶ。そういう選択が働くと、人気の高い自然エネルギーの会社が利益を出して、増えていくというのだ。
「でも、送電線を流れる電気は、原発のも太陽光のも区別できないのでは?」と私が聞くと、お金を北海道の銀行口座から振り込んで東京の口座で引き落とすというのと同じく、電力の売買も決済システムで処理するという。送電網は発電から切り離されて、どの電力会社も使うハイウエーのようなものになるというのだ。
これは面白いな、ぜひ勉強しなくては、と思っているうち忙しさにかまけて今にいたってしまった。
日本の電力供給の歴史をたどると、明治期には、たくさんの地域電力会社があった。
Wikipediaには、日本初の電力会社の「東京電燈」(1883年設立)について、こんな記述がある。
《明治時代から大正末期になると、東京鉄道・利根発電・鬼怒川水力電気・桂川電力・江戸川電気・猪苗代水力電気など関東における電力会社が続々誕生するようになり、競争状態になった。特に東京電燈と、東京市電気局と協定を結んでいた鬼怒川水力電気、桂川電力から受電契約を結んで設立された日本電燈の3社による競争は熾烈になり、過当なダンピングが行われるまでに至った。この競争は1917年(大正6年)に協定が結ばれたことで終結し、東京電燈はその後日本電燈を買収した》http://ja.wikipedia.org/wiki/%E6%9D%B1%E4%BA%AC%E9%9B%BB%E7%87%88
たくさんの電力会社が自由に競争を繰り広げる、こんな時代もあったのである。
ついで大正時代に買収・合併で大型化した電力会社は戦時体制で統合され、現在につながる。
《1939年、戦時国家体制(国家総動員法)によりこれらの電力会社は特殊法人の日本発送電と関連する9配電会社に統合された。現在電気事業連合会加盟の電力会社のうち、沖縄電力を除く9社はこの日本発送電が元になっている》
そして、日本でも電力自由化がはじまった。
《1995年 電力会社に卸電力を供給する発電事業者(IPP)の参入が可能に、また大型ビル群など特定の地点を対象とした小売供給が特定電気事業者に認められた。
2000年 2,000kW以上で受電する大需要家に対して、特定規模電気事業者(PPS)による小売が認められる。
2004年 2000年に定められた基準を500kW以上に引き下げ。
2005年 2004年に定められた基準を50kW以上に引き下げ》
だが、まだ自由化は不徹底だ。
北海道電力のHPにこんなQ&Aがある。
《本州の既存の電力会社や特定規模電気事業者(PPS)から電気を購入することはできますか?
【回答9】
 購入することは可能です。ただし、北海道と本州を結ぶ電力ケーブルの容量に限界がありますので、本州の既存の電力会社や特定規模電気事業者(PPS)にご相談下さい》
要するに容量が少ないからあんまりできないという。容量が少ないのは、電力のやり取りを、緊急の例外的な事態にしか想定していないからだろう。やり取りしないのが原則なのだ。
ヨーロッパでは、地域どころか、国境を超えて電気を売り買いし融通しあうことができる。
駆け足で見てきたが、今の独占的地域割りの「9社体制」は、戦時体制の遺物であるようだ。原発事故は「9社体制」の見直しにもつながっていく。
東京電力への公的支援に関連し、政府内で東電を発電部門と送電部門に分離し、送電部門を他の大手電力会社などに統合する処理案が浮上している》と新聞が書いている。(毎日5日)
電力供給体制の根本的な見直しは、大きな世直しにつながりそうだ。
もっと勉強しなくては。