チェルノブイリにも30キロ圏があった


この間まで、「チェルノブイリ」と「フクシマ」を比べることは間違っていると主張する人が多かった。規模も深刻度も全然違うというのだ。
だが、事故の規模や態様は異なるにせよ、同じ原発事故なのだから、チェルノブイリから教訓として学ぶことはたくさんあるに違いないと思って出発した。
もう他人事ではない。目の前でおきている大規模原発事故に向き合わなくてはならない。
私がまだウクライナに滞在中の12日、経産省原子力安全・保安院福島第一原発事故の暫定評価をチェルノブイリと同じレベル7に引き上げたとのニュースが流れた。
それは過大評価だとの批判がまた出てきたが、もうそういう議論はいい。
成功も失敗もあっただろうチェルノブイリの経験から、早く、我々に役に立つことを学ぼうよ。
まず、初動から批判されっぱなしだったチェルノブイリ事故処理だが、10日間でなんとか放射性物質の流出を封じ込めるのに成功した。一方、福島では、まだまだ、安定冷却のめどさえ見えない。
チェルノブイリでは事故直後、軍隊をも含む大量の人員を一気に現場に投入した。多くの特攻作業員の犠牲を出すなどマネしてはいけない点があるけれど、福島の初動はあれでよかったのか、振り返ることも必要だろう。
さて、「チェルノブイリに行く」というと、周りから「まだ、人が住めない場所がいっぱいあるんでしょ」と聞かれた。
ウクライナでは、汚染された土地を4分類して管理している。
ゾーン1=立入り制限区域          40キュリー(キュリー/km2/年)以上 
ゾーン2=無条件移住区域         15〜40キュリー              
ゾーン3=補償付き任意移住区域     5〜15キュリー               
ゾーン4=放射線管理強化区域      1〜5キュリー                
当時のソ連政府は、事故直後、原発から30キロ以内の住民を強制疎開・移住させ、立入り禁止にした。
ところが、89年になって、広域調査をやってみると、放射能汚染は「同心円状」に広まっているのではないことが判明した。蝶の羽のような形で、原発から600キロも離れたロシア、白ロシアの土地まで強い汚染を受けていた。
http://www.rri.kyoto-u.ac.jp/NSRG/Chernobyl/Photo/Chernobyl/600kmMAP-M.gif(地図はここから引用)
逆に、今回私は原発からわずか20キロほどで、東京と同じ程度の放射線量の場所があるのを確認した。そのときの風向き、雨の降り方などで、まさに斑(まだら)状に不規則に汚染されているのだ。
91年、それまでの「30キロ圏内」はゾーン1として引き続き立入りを制限したうえ、新たな調査結果をもとにして2〜4の区域分けを実施。ゾーン2からの移住を行った。
「30キロ圏」と、その外に大きくはみ出したゾーン2の住民を中心に、およそ16万5千人が移住させられたという。(2006年のウクライナ非常事態省の報告)
これはおそろしく巨大な社会変動だったろう。急に「このラインの内側に住む人たちは、引越しするように」といわれるのだ。
その結果、今、ゾーン1(30キロ圏内)とゾーン2に指定されたところには、人はいないはずである。
しかし、実際はたくさんの人が住んでいる。
それはなぜか。
わが福島では、20キロ、30キロ圏と区域わけし、区分自体がいいのかどうか議論になっている。放射線量の非常に高いところが圏外に存在することも明らかになった。また、避難所生活に耐えられずに、戻りたいと希望する人もいるという。
これはチェルノブイリのデジャブである。
(つづく)