日本も共同親権へ2

前回、フランス上院が日本のハーグ条約加盟を要請するよう決議したことを紹介したが、去年6月と11月には、日本人の元妻が連れ去った子どもに会えないと、フランス人男性2人が自殺しているという。
我々日本人があまり知らないだけで、日本人による子どもの「拉致」は、大きな国際問題になっている。
実は、これは国内の構図がそのまま国際化しただけの話で、日本では、離婚すると親権を持たない方の親は、ほとんど子どもに会えなくなることが多い。
日本ではたいてい母親が親権を持つ。そして、「自分だけのもの」として子どもを囲い込む。
あんなダメな父親に子どもを会わせたくない、二つの家庭があると子どもが混乱する、子どもに会わせないことで復讐する、など様々な思惑があるようだが、場合によっては、じいちゃん、ばあちゃんまで出てきて、一家総力で父親との面会を阻止する。
いくら子どもを可愛がってきた父親でも、顔も見れず、電話で声も聞けないまま何年も過ぎれば、どうしたって情は薄れる。日本で、養育費の支払いをさぼる父親が多くなるのも当然である。
これは子どもの利益にならない。
そもそも、親が離婚しようが喧嘩しようが、どちらも子どもにとっては親である。
日本も早く、共同親権に踏み出したらどうか。
離婚したあとは、父親も母親も共同で子どもに責任を持ち、親子の絆を切らさずに、お金も愛情も注いで育てるのが、望ましいあり方のように思うのである。

アメリカ映画を観ると、母親が離婚した夫に週末を子どもをあずけるなどという場面がよく出てくる。その母親のそばには再婚した夫がいて、元夫と笑顔で挨拶を交わしたりする。
宇宙戦争』や『ナイトミュージアム』でもそんなシーンがあった。
よく、あんなにあっけらかんと子どもを受け渡しできるなと思うのだが、『クレイマー、クレイマー』がたった30年前の映画であることを思えば、法的・制度的な変更は、「家族の風景」を急速に変えるもののようである。

もっと言うと、親権の問題に限らず、政府が思い切って政策を実行し、制度を新設すれば、この国の「風景」もすぐに変わっていくはずである。
むかし、ゴミの分別なんて守られないだろうと言われていたのに、いったん分別制度ができると、すぐ曜日ごとにゴミを分けて出すことが当たり前になっていたことを思い出す。
納得しうる変化には、人は容易に適応するのだ。