右翼と左翼の「統合」4

takase222011-01-07

興福寺創建1300年記念の「阿修羅像」のカレンダーを壁にかざる。
東京に阿修羅像が来たとき見に行ったが、いい表情である。

さて、あなたが不幸なのは社会(環境)のせいか、あるいは、あなたが努力しないためか、
こういう発想の違いが左派と右派を分けるとすれば、基本的な人間観にも当然違いがあるということになる。
左派の少なくとも一部(啓蒙主義から共産主義の一部)は、人間は外界からの働きかけによって、いかなる状態にも作り上げることができると考えている。限界なき発達可能性である。
推し進めると、毛沢東の、人は白い画用紙のようなもので、赤い絵の具を塗れば赤くなり、青く塗れば青になるという主張になる。
ポルポト政権下では、子どもたちを親から離して、オンカー(「組織」という意味で、共産党を指す)への絶対忠誠を軸に完全な人間改造を目指した。新社会の人間が、よけいな色に染まらないように、旧体制の知識人らは抹殺された。
これが北朝鮮における人間観につながることは言うまでもない。

政治的な右と左の違いは具体的にはどう現れるのか。
例えばアメリカで、黒人問題を解決する方法としてのアファーマティブ・アクション(一緒のバス通学、一定比率の黒人の大学などへの入学枠確保など)がとられたが、これは左派の主張だった。
「政治的左に傾きがちな外面主義者は、アメリカの人種問題は外面的介在によって取り払われるべきであるとする。保守的になりがちな内面主義者は、内面からの努力を必要とする解決を強調する。教育、勤勉、自己動機づけ、風紀、ブルジョア的価値、充足の引きのばし、古き良き移民の徳である」。
かくして、右派と左派の違いが、内面原因対外面原因からくるというのは、説得的だと思うが、政治的方向づけを見る場合、もう一つのポイントがあるという。
それは、公正な社会を整える上で、「個人」に重きを置くべきか、「集団」に重きを置くべきかという問題だ。