大晦日は仕事がないときは外食して映画を観ることにしている。
今年は『ノルウェイの森』。
緑(水原希子)が、好意を寄せる主役のワタナベ(松山ケンイチ)に生意気そうに近づいてくる、その背景に流れた曲”She Brings the Rain” (CAN) がとても印象的だった。本筋じゃないけど。
夜は紅白。出場者の2割は名前も知らず、曲は半分以上が聞いたことがないが、日本でいま流行っている歌を勉強するつもりで観る。酒を飲みながら、天童よしみ、和田アキ子、坂本冬美には感動して聴き入った。やはり、うまい!
何とか年を越せてよかった。
トラブルがたくさん押し寄せた一年だった。
判断に悩むことも多かったが、苦労もみな「修行」だと思ってみれば、いい機会を与えられたともいえる。
大晦日くらいは楽しい気分になりたい。
仏典から、お釈迦様の言葉をひろってみよう。
《一切の生きとし生けるものは、幸福であれ、安穏であれ、安楽であれ》
最も古い経典とされる『スッタニパータ』の「慈しみ」の章にある、知られた句である。
これにつづく句は;
《いかなる生物生類であっても、怯えているものでも強剛なものでも、悉く、長いものでも、大きなものでも、中くらいのものでも、短いものでも、微細なものでも、粗大なものでも、
目に見えるものでも、見えないものでも、遠くに住むものでも、近くに住むものでも、すでに生まれたものでも、これから生まれようと欲するものでも、一切の生きとし生けるものは、幸せであれ》
くどいなあ、と思うほど言葉を重ね、もれなく「一切の」生きるものたちに幸せであれと願っている。
幸せであれ。この願いが、世界のすみずみまで行きわたっていくのをイメージすると、心豊かな気持ちになる。
お釈迦様本人はどうかといえば、もちろん、幸せなのである。
《われらは、何物をももっていないが、さあ、大いに楽しく生きて行こう》(『サンユッタニカーヤ』?-2-8)
《怨みをいだいている人々のあいだにあって怨むこと無く、われらは大いに楽しく生きよう。》
《悩める人々のあいだにあって、悩み無く、大いに楽しく生きよう》
《貪っている人々のあいだにあって、患い無く、大いに楽しく生きよう》(『ダンマパダ』15章「楽しみ」)
仏教とは、「線香くさい」、つまり憂鬱で陰気なイメージを持たれているが、実は「楽しく生きよう」というメッセージが中核にあると私は理解している。
この場合の「幸せ」、「楽しみ」というのは、寒い夜、おでんで熱燗をキューッと・・みたいな、いわゆる「快」の楽しみとは違う。
《やすらぎにまさる楽しみは存在しない》ともあるように「やすらぎ」である。
この「やすらぎ」は、サンスクリットの”santi”(サンティ)で平和と言う意味にもなることばだ。心が安らかで穏やかになった状態なのだろう。
来年は楽しく生きたいものである。何が起きようとも。