砲撃事件の背景―飢餓はなぜ起きるのか

takase222010-12-09

北朝鮮の飢餓は、自然災害が原因ではない。
これを理論的な面からみてみたい。
ちょっと意外に思われるかもしれないが、大豊作でも飢餓は起こりうる。「食糧の供給量がどれほどあるのか」と「人々が食糧不足になるかどうか」は直接的な関係にはない。
大量の米が倉庫にあっても、それが配給されたり、市場に出回ったりしなければ、倉庫の隣の住民が餓死するかもしれない。また、市場に米が売られていても、お金がない人は目の前にある米を食べられない。
〈飢餓の原因は食糧供給不足にある〉という「常識」を覆した学者に、アマルティア・セン博士がいる。インド出身で、98年、アジア人として初めてノーベル経済学賞を受賞した。
セン博士は、なぜ貧困や飢餓が生じるのかを理論化し、「エンタイトルメント・アプローチ」を提唱した。
エンタイトルメントとは、「人々が十分な食糧などを得られる経済的能力や資格」のことで、たとえば、食糧その他の生活必需品の購買力、配給を受ける権利のほか、役所などを動かす権限や能力、政治的発言力なども含まれる。飢餓は、エンタイトルメントが損なわれた状態において発生するというのである。
言われてみれば、なんだ、当たり前じゃないか、と思うのだが、理論に昇華したことは画期的だったのだろう。
エンタイトルメントが損なわれた状態を、セン博士は「剥奪」状態と呼び、それは多くの場合、自然災害ではなく、民主主義の欠如など政治的原因で生じるという。さらに「人間の安全保障」という概念を提起し、これを経済だけでなく、政治をふくめた広い視野でとらえている。博士の『貧困の克服』(集英社新書)から引用する。
「民主主義と人間の安全保障のあいだには根本的な結びつきが存在します。政府が必ず人々のニーズに応えて、また苦境にある人々を支援できるように、民主主義の手段的な役割―選挙、多党政治、報道の自由など―は、きわめて実際的な重要性を持ちます。」(P49)
この本は北朝鮮にも言及している。
「定期的に選挙が行われ、批判をはっきり表明できる野党が存在し、大規模な検閲なしに政府の政策の妥当性を問いただすことができる報道の自由がある民主主義の独立国家においては、大飢饉が本格化するようなことは一度もありませんでした。現時点において、深刻な飢饉が発生している北朝鮮スーダンは、まさに権威主義体制の典型のような国々です。」
海老蔵報道にはうんざりだが、こんな文章を読むと、メディアの自由とは、人の生き死にに関係する大事なものなんだなと再認識させられる。
(つづく)