自分の葬式に出てみたら

takase222010-12-01

月末になると資金繰りでせわしい日が続く。
今年も紅葉狩りには行けなかった。見上げるとイチョウが見事に色づいて、街灯にクリスマスの飾りがついている。今年は時の経つのが速かった。
こういうとき、ふと、自分はこれでいいのか、何をめざして生きているのか、という思いが頭をよぎる。
ドラッカーが流行っているという。ベストセラーだというので、私も『もし高校野球部の女子マネージャーがドラッカーの「マネジメント」を読んだら』を買った。ミリオンセラーだという。
「川島みなみが野球部のマネージャーになったのは、高校二年生の7月半ば、夏休み直前のことだった」でこの物語ははじまる。そして、みなみは、この野球部を甲子園に連れて行くという大それた目標をかかげ、ドラッカーの『マネジメント』という本に学んで、部の運営にすばらしい成果をあげ、ついに目標を達成したのだった。
とてもいい話だ。ただ、マネジメントは、目標達成への円滑な道筋、方法を教えてくれるけれど、その目標自体ははじめにちゃんと決めておかなくてはならない。
自分の人生の目標は正しく設定されているのだろうか。
早くしかも安全に富士山に登ることができたが、実は本当に行くべき目的地は八ヶ岳だった、ではマネジメントもくそもない。富士山頂をめざして必死にがんばっても、人生全体からすると間違った努力になってしまう。
だが、「どういう人生を目指しているのか」と聞かれても、すぐには答えられなかったりする。自分でもなかなか分からないものである。
それを意識化する思考トレーニングがある。
あなたは葬儀に参列している。それは、3年後に執り行われるはずのあなた自身の葬儀だ。
あなたの死を悼んで集っている人に混じって、あなたも席につく。
4人の人が弔辞を述べることになっている。
最初は家族から一人。次は友人代表。3番目は仕事関係で4番目はコミュニティ、サークルなど奉仕活動を行ってきたところからの一人だ。
そこで深く考えてみる。それぞれの人から、あなたの人生について、何と言ってほしいのか。どういう父、夫、息子だったと、どういう友達だったと、どういう仕事の同僚だったと言ってほしいのか。
そこに、自分がどのような人生を生き、どんな人間として死んでいきたいのかが見えてくるというわけだ。なるほど・・。
ティーブン・コヴィーの『7つの習慣』という本に出てくるワークだ。
人はせわしいときほど、人生を考えてしまうものらしい。
もう師走である。