今朝の毎日新聞「余録」が、中国中央テレビ(CCTV)の中継で、日本人は気がつかない異変が起きていたことを書いた。
《前半34分47秒。本田圭佑選手が初のゴールを決める少し前だった。画面は松井大輔選手とエヨング・エノー選手のつばぜりあいを追っていた。ややアップの選手の背後にスタンドの観衆も映っていた。突然、CCTVの画面は、直前のプレーのビデオ映像に切り替わった。
実は、松井選手の背後に映っていた女性が、青い旗を取り出してカメラに向けて振り出した。青地に白い太陽を染め抜いた台湾の旗。(略)
放送局には画面を常に監視して、不都合があれば瞬時に画面を切り替えるプロがいる。その日もボールに注意を奪われず、観客席を凝視しつづけた。だれかが胸の前に掲げた青い布。それが日本チームの応援旗ではなく、台湾の旗の一部だと即座に見抜いた。
カメラの向きが変わると、なにごともなかったように中継が続いた。(略)あのサッカー中継の裏側で、中国では検閲のプロと、見破りの達人が火花を散らしていたのだ》
韓国サポーターのなかに、「竹島は韓国の領土だ」と書いた巨大な旗をかかげたグループがいたというが、世界中がテレビ中継を観ている中でサッカー以外のアピールをしようというものが出てきても不思議ではない。
ところで私は、サッカーは、あいまいなところが多すぎ、スポーツとしては不備な感じがしてならない。
きのうも、イングランドVSドイツ戦、アルゼンチンVSメキシコ戦で、あきらかな誤審があった。
もともと、サッカーにおけるファウルの取り方はかなり感覚的・主観的で、ビデオ録画で見ると、ほとんど当たられていないのに大げさに倒れただけの「演技」も目に付く。昔風に言うと「役者やのう!」
こういう疑惑の1点で決着したりするから納得がいかない。バスケのように70点、80点で競り合うゲームと違って、サッカーは「運」が大きく左右する。でも、こういう要素をみな含めてのサッカーなのだろう。
ただ、ワールドカップが気に入っているのは、小国ががんばっていることだ。オリンピックではアメリカ、中国、ロシアなどの大国がメダルを大量に漁っていくのに対して、サッカーの世界は南米はじめ貧しい国が健闘している。サッカーは、国の強さが結果に反映しない競技である。
グループリーグでの、アメリカVSスロベニア戦。人口では3億人対2百万人と150倍。面積では400倍超という国のサイズの闘いだった。どうしても小さいほうを応援したくなる。結果はドロー。
それから、サッカーがグローバル化したスポーツであることは、「しぐさ」にも見て取れる。
いいシュートが外れると、選手や監督が一斉に腕を頭の後ろに組んで空を仰ぐ。審判に抗議するときには、両手を大きく上に広げる。FKを決め、観客席に投げキスをした遠藤を見て、ああ、人のしぐさも、こうやって均一化していくのか、と思ったのだった。