朝鮮学校の無償化論議に思う3

きのうの報道ステーションで、アフガンの中村哲医師の奮闘を特集していた。
用水路の開通で、かつての土漠が見事な緑の大地に変わっていく。村人の笑顔をみると、これこそが平和というものなのだなあ、と感じる。
カメラワークが秀逸で、訴える力の強い映像が随所に見られた。
このサイトで動画が見られるので、お見逃しの方はぜひどうぞ。http://www.tv-asahi.co.jp/hst/movie/
中村さんは用水路だけでなく、学校も造った。ようやく学ぶ場を持った子供たちのうれしそうな表情が印象的だった。日常の暮しに必要な知識、たとえば地雷への注意なども教えている。たぶん、科学の実験教材やまともな図書館もないだろうが、ここには教育の原点があるように思う。
さて、朝鮮学校である。
これが《総連の学校》である限り、朝鮮総連とはいかなる組織かを知らなくてはならない。
最近、私は、かつて総連に深くかかわった人々に話を聞く機会があった。
主に70年代、総連の直属組織に勤務していたAさんの話。
《2002年の9月の小泉首相訪朝で、金正日が日本人拉致を認め、総連がパニックに陥っていたころ、昔の同僚が突然訪ねてきた。げっそりと痩せて憔悴している。
「いつ逮捕されるのか心配で、夜も眠れない」という。実は、彼自身も日本人拉致に手を染めていたのだった。日本社会で拉致問題が大きくなって、自分の追及されるのではないかと急に怖くなったらしい。》
Aは70年代のある日、上司に呼ばれ、若い日本人女性をさそって、ある日本海に面した町まで連れて行けと命じられた。総連の幹部でもあるその上司には、若い女性なら誰でもよいといわれた。Aはやはり同じ職場の同僚と組んで、その指示を実行した。その日本海に面した町で、女性を指定された人に「渡して」東京に帰ってきた。
その女性の消息はその後聞かないから、そのまま北朝鮮に連れて行かれただろうという。上司=部下の関係で拉致を指示されており、職場は総連の直属組織だという点を考えると、拉致指令は、総連ルートで伝達された可能性が強い。
当時は「拉致」などという言葉はマスコミに登場していない。ただ、Aと同僚は、偽計によって女性を誘い出しており、彼女を騙しているという自覚はあったという。
総連という組織のなかで拉致の指令、実行がなされたということは、総連の拉致への関与は、想像以上に大きいとみなくてはならない。
私は、総連の中央委員までつとめた元幹部に接触することができた。
(つづく)