「助産院で産む」を放送

takase222010-02-22

この写真は先週の降雪翌朝、通勤路で撮ったもの。咲きかかった紅梅の花に雪が積もっていた。今年は雪が多い。
きのう日曜夜のフジTV「ジャーナる!」という番組で、助産院での出産を特集で放送した。
これは一昨年に続いて、矢島床子(やじま・ゆかこ)さんの助産院(http://www.yajima-j.net/)で撮影させていただいたものだ。お産という最もプライベートな行為の一部始終をビデオカメラで撮られるなんて、普通は拒否するだろう。万が一、妊婦本人がいいと言っても、夫は強い抵抗感を持つはずだ。しかも、取材スタッフ(ジャーナリストの浅井寿樹さんと二人のカメラマンと私)はみな男である。矢島さんとスタッフはもちろん、私たちの取材意図を理解して協力していただいた二組の家族に特に感謝したいと思う。
特集のメッセージは、《お産は病院でするもの》と言う思い込みを一度考え直しませんかということだ。昔は、お産といえば産婆さんの独壇場で、私も母の実家で、産婆さんに取り上げてもらった。それが戦後GHQの指令でアメリカ型の管理出産が持ち込まれてお産の現場が激変。結果、いま自宅出産は0.1%とほぼ絶滅に近い。
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20080327
妊娠・出産は「病気」ではないのだから、病院信仰はやめたいものだ。双子、逆子、高年初産(35歳以上)などの条件にひっかからない通常の出産であれば医師はいらず、それはお産全体の8割になる。一方、助産師の国家資格を持つ人は6万人いるが、いま働いている人は半数にすぎない。お産危機の緩和のためにも助産師を見直したい。
さっき自転車で、矢島助産院に、撮影のためにお借りした『お産の感想ノート』を返しにいった。スタッフに、きのうの番組を観て矢島さんはどう言ってましたかと聞くと、私は「カリスマ」じゃないし「ゴッドハンド」でもないと苦笑していたそうだ。外に出たら、ちょうどそこに帰ってきた矢島さんとバッタリ。
「ゴッドハンド」とは、矢島さんが陣痛を耐える産婦の体をさする手のことで、痛みを和らげるという。私の妻が次女を産んだときにそれを体験している。私がさすると邪魔にしか感じなかったのに、矢島さんの手が触れた瞬間に痛みが消えるそうだ。同様のことが『感想ノート』にもたくさん載っている。こういうのを含めて産婆さんの知恵はもっと評価されてほしい。
久しぶりの徹夜でちょっと疲れた。
土曜から、浅井さんとAD、私の三人で、編集スタジオを三カ所転々と移動しながらプリ編集、本編集、MA(音声編集)をした。浅井さんはプリ編集(オフライン編集)で、すでに1週間以上半徹夜状態が続いていた。
放送直前の作業をやると、テレビ番組というのは、実にたくさんの人の手によって作られていることをあらためて実感する。私たちテレビ制作会社は、企画をたて調査し、取材・撮影したあと作品の構成を考えるが、そのあと放送までは、ポスプロ(ポスト・プロダクション)という後半段階の多くの作業がある。そこに、編集、CG(コンピュータ・グラフィック)、音楽効果、ナレーション、ボイスオーバー(吹き替えなど)などの各工程の専門家がいて一緒に仕事をする。
そのほか、構成作家が私たちの書いた原稿を直し、その原稿とテロップについて、テレビ局の校閲担当が細かくチェックする。たぶん世間の基準よりはるかに「厳しい」。
前回の「ハイチ特集」では、「ハイチ人の先祖はアフリカから連れてこられた奴隷である」というナレーションの「奴隷」が使用可能かどうかが問題になったほどだ。
今回も、14分の短い作品に多くの人々の膨大な労力が投入されているわけである。
その間、局のプロデューサーや担当者と電話で細かい打ち合わせをする。今回はオリンピックで日本人がメダルを取れば、特集の放送は飛ぶ(中止になる)ことになっていた。葛西には、たぶん最後のチャンスだからメダルを取ってもらいたいが、放送は飛んでほしくない・・。結局、葛西は8位におわり放送が決まった。
お母さん(あゆみさん)が、へその緒のついたわが子を自分の手で取上げ、胸の上に置いた。目を大きく見開き、まるで、この世のものではないものを見ているような表情がすごい。これはもう産婦しか分からないだろう。
ポスプロにかかわった編集マンやボイスオーバーの声優さんたちもこのシーンで涙ぐんでいた。
いま、日本人は病院の管理のもとで産まれ、死んでいる。人生の初めと終わりの迎え方がこれでいいのか、もっと考えられてよいと思う。