息を吸う敬語

takase222010-02-02

昨夜は雪で、帰宅時はダイヤが乱れていた。ちょっとした雪で都会の交通はすぐにやられる。
秋田出身の知り合いが「私たちは、つるつるの雪の道でも自転車で走っていたんだよ」と自慢げに話していた。
うちの方は積雪5センチくらいか。昼ごろまで公園には雪が残っていた。

自分の癖を他人から指摘されて驚くことがある。自分では気がつかないからだ。
同じように、外国人から指摘されてはじめて自国、自民族の特徴が分かるものである。
『逝きし世の面影』では、文明論以外に、日本人の仕草や振る舞いについて文化人類学的な興味をそそられる箇所が少なくない。
例えば、日本人がお辞儀をするときの「息吸い」について、多くの人が指摘している。よほど印象的だったのだろう。
《(男の場合)手を膝から脚まで下げ、この体操をやりながら、深く息を吸いこんで喜びを表わす》(ロシア艦隊の一員として勤務し1859年に上陸したイギリス人ティリー)
《まずはじめに両者そろって上体をかがめ、両手を膝において深く頭を下げてお辞儀をした。そうしながらも、心をこめて長々と歯の間から息を吸いこんでいた。(略)今度はすわったままでするお辞儀がますます盛んになって、息を吸う音も、聞いている方が心配になるほど激しくなり、(略)これでは生きた空気ポンプではないかと思われてきた》(ロシア艦隊に同行したヴィシェスラフツォフ)
ヴィシェスラフツォフが乗った船を訪ねた幕府の役人も《全員が歯の間から息を吸ってシューシューいいながらお辞儀をした》という。
《膝に手のひらをのせ、やや中腰になって、ほぼ直角にまで上体を折り曲げると、彼らはすすりあげるように息をすいこみ、つぎには息をシューシュー吐きながら、幾度もこの体操のような動作をくりかえす》(明治7年から東京外国語学校でロシア語を教えたメーチニコフ)
この息吸いは何でしょう。
若い人は首を傾げるかもしれないが、年配の人なら直感的に分かるだろう。昔は、公の会合で話をするときなど、シーと歯の間から息を吸い込む仕草が普通にみられた。少なくとも東北地方ではそうだった。歯にモノがはさまったときに「シーシー」やる仕草に近い。
例えば;
「(シー)いやいや、きょうはお寒いなかを(シー)お集まりいただきまして(シー)大変ありがとうございます」という感じで話したものだ。
この息吸いの「シー」は、あらたまった席で話すとき、あるいは目下の者が目上に挨拶するときなどによく使われる。いかにも「恐れ入ってございます」という雰囲気で、ちょっと肩をすぼませ上目遣いに「シー」と息をすするのである。謙譲表現の一つではないかと思う。いまはもう廃れてなくなったのだろうか。
最近、若い人が、大人数の前で挨拶をするときなど、風邪をひいているわけでもないのに、鼻をすする仕草をすることがある。わざわざ人差し指を鼻の下に当てる人もいる。あれって、昔の息吸いの復活じゃないかと密かに思っているのだが、どうだろうか。