「逝きし世の面影」5

災害などで被災した日本人が、微笑をうかべていたことに、欧米人は驚愕しているが、昔のこの雰囲気は、我々、今の日本人もなんとなく分かる。私自身、ご先祖たちほど立派ではないが、悲劇的な状況の中でも「大変だ、大変だ」と騒ぐものではないと思っている。
東洋の中でも、感情表現という点で、日本は特別だと思うことがある。
私はかつて、「サハリンの残留韓国人」を取材したことがある。戦前、戦中にサハリンの炭鉱などへ渡った人々1万人以上が、日本の敗戦後、故郷に帰れず現地に残留したのだった。
韓国に残された親族でつくる「離散家族会」が、代表を初めてサハリンに送ったときのこと。代表の一人の父親はすでにサハリンで亡くなっており、墓参りをすることになった。ロシア側関係者やメディアなど30人ほどが付き添って海を見下ろす丘の上の墓地に行った。
すると韓国から来た息子は、いきなり墓石に取り付くや「アボジー!」と叫んで号泣しはじめた。泣くだけでなく、声を振り絞るようにかき口説いている。後で聞くと「お父さん、やっと、息子が参りました。お父さんは故郷からずっと離れたままで、さぞ淋しかったでしょう。親孝行もできずに残念です・・・」といった意味の嘆きの言葉だったらしい。
私はあっけにとられて見ていた。息子は、父親と物心つく前に別れたと聞いていたから、それほど激しい感情表現があろうとは思っていなかったのだ。
息子は、人目もはばからずひとしきり泣くと、「あーあ、終わった」という感じで立ち上がり、さばさばした表情で帰途についた。これにも私は驚いた。
そのとき私は、日本人と朝鮮半島の人間との《違い》を強烈に意識させられた。
逆に、韓国人が日本人の感情表現に文化ショックを受けることもあるようだ。
例えば、日本で、子供を事故で亡くした親が、記者会見に出たとする。この場合、「こんな悲しみは私たちだけでたくさんです。今回の事故を教訓に二度と同じような過ちを繰り返さないでください」といった発言をすることがよくある。これが韓国人には全く理解できないという。かけがえのない最愛のわが子を殺されたのに、なぜ「事故を教訓に」などと評論家のような発言ができるのか、というのだ。この場合、韓国では、母親が「息子をかえせー」と気絶するまで泣き叫ぶのは珍しくない。
パレスチナ、アフガン、イラクなど戦争のつづく場所で、被災した人々が空を仰いで身もだえしながら嘆く表情などをテレビで見ると、ああ、日本人とは違うなと思う。感情表現を抑える日本人の方が世界では少数派であるようだ。
以前から、これをどう解釈したらいいのか、もやもやしたままだった。ひょっとして、日本人は冷たいのか、情が薄いのだろうかとも考えた。
前回紹介した、災害に遭ったときの日本人の振る舞いの記述を読んで、これは冷たいとか情が薄いとかいう問題ではなく、一つの文明の型なのだという解釈に深くうなづかされたのである。
(つづく)