「逝きし世の面影」2

江戸末期の日本は、実にフレンドリーで開かれたコミュニティを形成していたようだ。
当時の外国人が、日本を描写する表現は、我々いまの日本人には、にわかには信じがたいほどのものがある。
《人々は幸福で満足そう》(ペリー)
《衣食住に関するかぎり完璧にみえるひとつの生存システム》(ハリス初代駐日公使)
《素朴で絵のように美しい国》(日本アルプスを紹介したウェストン)
極めつけは、英国詩人アーノルドの評。
《地上でパラダイス(天国)あるいはロータスランド(極楽)にもっとも近づいている国》
日本こそが「地上の楽園」だったというのだ!
前回紹介した、イザベラ・バードをはじめ、日本を「エデンの園」、「楽園」と表現した人は多い。
ところが、こうした評価を日本の知識人は素直に受け止めなかった。逆に、一貫して拒否してきたと渡辺京二氏は指摘している。
《日本の知識人には、この種の欧米人の見聞記を美化された幻影として斥けたいという、強い衝動に動かされてきた歴史が》あり、《日本がポジティブに評価されることに拒否感を抱き、一方日本に対するネガティブな評価には共感する心的機制を植えこまれている》。
すでに明治期、欧米人が日本を誉めると、当時の知識人たちは猛烈に反発したという。
明治6年から44年までの日本を見たチェンバレンはこういう。
《一般的に言って、教育ある日本人は彼らの過去を捨ててしまっている。彼らは過去の日本人とは別の人間、別のものになろうとしている》
近代化に邁進する彼らにとっては、みすぼらしい過去の日本は、忘れるべき対象だった。遅れた昔の日本を誉めるなど、許されないことだった。
そしてこの「機制」は、現代の進歩派知識人にも生きている。
彼らは、日本の過去を高く評価することは、右翼的ナショナリズムを煽ると警戒する。日本の歴史に、圧政との闘い、抵抗はあったとしても、「楽園」が存在したはずはない・・。
こうして、日本の知識人は、左右の立場信条を超えて、過去を否定しようとしてきたのである。
(つづく)