26日は、東京・赤坂で、「7人の会」の忘年会兼お疲れ様会があった。
参加は、有田、勝谷、加藤、日垣、湯川と私、そして運動を実際に支えてくれたスタッフの方々。加藤哲郎さんと日垣隆さんは、前回の運動以来だから6年ぶりか。湯川れい子さんもお忙しいなか「きょうだけちょうど空いてたのよ」と参加してくれた。(写真:左が湯川さん、右に有田さん)
場所は、勝谷誠彦さんのお気に入りの四川料理の店で、「よだれ鶏(口水鶏)」がお勧め。これは、涎が出るほどうまいことからついた料理名だという。料理は美味しく、酒もすすんだ。盛り上がったのは家族の話。
日垣さんは、今年娘さんが結婚したそうだ。その結婚式で、お涙頂戴の式進行に抵抗したという。彼がとくに拒否したのは、バージン・ロードを父親が新婦をエスコートして歩み、新郎に新婦を引き渡す儀式。日垣さんによると、あれは西洋風の装いをしているが、「イエ」から「イエ」に娘をあげるというジャパニーズの儀式だという。「そうかもしれない」と湯川さん。湯川さんはアメリカで結婚式を挙げたが、エスコートしてくれたのは、親しい男友達だったそうだ。
日垣さん、結局、スライドショーで子ども時代の娘の写真を見て、「不覚にも」泣いてしまったと悔しそうに言う。クールな彼が涙を流しているシーンを思い浮かべて、笑ってしまった。
湯川さんは、3月にお孫さんが生まれると嬉しそうだった。
有田さんは、来年、民主党から参議院全国区に出る。当選したら、拉致問題で思い切ったことをやりたいと闘志満々だった。
来年が、拉致被害者と家族に、よい年になるよう祈りたい。情勢が動けば、またこの会で運動を展開しよう。
28日(月)は、会社の忘年会。
例年は手ごろなレストランで社外の関係者も集めて開くのだが、今年は、経費節約もあって、事務所でごく内輪でやった。お歳暮でいただいたビールや酒に、「持ち寄り」の料理で一年をふり返った。韓国人と結婚した社員は、奥さんの作った「チヂミ」を差し入れるなど、いろんな料理が並び、和気藹々で楽しかった。「持ち寄り」パーティも悪くない。
それにしても、厳しい年だった。わが社は、正月に片目の達磨を飾り、忘年会でもう一つの目を黒く塗って、無事に一年が過ぎたことを感謝する。今年は、まさに「やっと生き延びた」という思いで達磨の目を入れた。
来年はさらに厳しくなりそうだ。
その厳冬期を、健康に、元気に、さわやかに生きたい。