サンプロの思い出3−がん治療を変えたい

視聴者からの反響が最も大きかったサンプロ特集に、「がん治療を変えたい!」シリーズがある。放送直後は電話、手紙、ファクスで、「家族が末期がんで治療法を求めている」といった問い合わせがどっと届いた。手紙は段ボール箱いっぱいになった。
日本では、がんが手術で取りきれないとなるともう「おしまい」と見られていたし、抗がん剤など「効かない」と信じられていた。
これは、外科手術のレベルは高いが、抗がん剤を使う化学療法や放射線療法などはひどく遅れている日本の状況を反映している。信じられないかもしれないが、日本では、海外で普通に使われている標準的な抗がん剤が承認されていないのだ。
例えば、末期の膵臓がんの標準治療薬に「ジェムザール」があるが、これは日本では肺がんの治療薬としてのみ承認されている。膵臓がんに使うと保険適用外になってしまう。保険診療の枠内でこれを使うと、その薬は病院の全額負担になる。
平岩正樹医師は保険適用外の標準治療薬を使いつづけて病院に赤字を負わせ、勤務先をやめざるをえなくなった。当時は、いくつかの病院の空きベットを借りて診療を続けている「はぐれ医師」だった。
番組では、現状に真っ向から挑戦する医師、平岩正樹さんを追う中で、日本のがん治療がいかに歪んで遅れているかを見せた。
実は、抗がん剤に限らず、たくさんの世界の標準薬が日本で承認されていない。世界の多くの国で使われている薬でも、日本人のデータをあたらめて取らないと承認されないなど、独特の制度的障壁がある。
さらに、化学療法の専門である腫瘍内科医がほとんど養成されていない。日本では、外科の医師が、忙しい時間を割いて、抗がん剤の処方という専門外のことをやらされている。これでは急スピードで進む抗がん剤の開発と治療法に圧倒的な遅れが出るのは当然だ。
このシリーズを作った石田ディレクターは、自分ががん患者だった。
大腸がんが発見され、いろいろ調べてかかった医師が平岩さんだった。平岩さんはもともとは外科医だが、ちょうど抗がん剤の治療に専念しようとしていたときで、最後の外科手術をした患者が石田だった。患者になってみて、日本のがん治療を何とかしなくては、と制作したのがサンプロの特集となったのだ。
スタジオには石田も出て、180種類の世界標準薬は一括承認すべきであることを訴えた。
この番組をきっかけに、患者団体が発足し、抗がん剤認可の署名運動がはじまった。事務所もスタッフもいない会なので、石田が初代事務局長になり、ジン・ネットが仮の連絡事務所を提供した。その後、薬の承認や混合診療の問題など、多くの点で事態は改善されていった。先のジェムザールも2001年4月に膵臓がんにも拡大承認された。
がん治療が社会的に「問題」として注目されるようになったのは、この「がん」シリーズからだった。
サンプロは、政治家、官僚、学者、企業経営者などが観ている番組で、社会的影響力はきわだっていた。まさに世の中を動かす番組だったのである。
社会を変える「キャンペーン報道」が好きな私たちにとっては、最高の発表場所だった。
(つづく)