駐輪場は古代道だった

takase222009-10-17

今週の月曜(体育の日)の夜、NHK−BS2で、ジン・ネット制作協力の番組「古代日本のハイウエー〜1300年前の“列島改造”〜」が放送された。番宣は−
《今から千数百年前、総延長6300kmにも及ぶ4車線相当(幅12m程)の巨大道路ネットワークが敷かれていた!
今、日本全国で、広くて真っ直ぐな古代の道が次々と発掘されている。建設され使われたのは、飛鳥時代から奈良時代にかけてと考えられる古代の道、なぜ、こんな広い道が必要だったのか?どうやって作ったのか?
古代の道の謎に挑むのは、日本考古学協会の会員でもある俳優の苅谷俊介さん。
日本中に張り巡らされていたと考えられる古代の道。それは、1300年前の巨大な公共事業だった。いったい、どれだけの人が動員されたのか?
“古代日本のハイウエー”の謎とその背後の歴史とは。知られざる古代日本の姿に迫ります。》
発掘され実態の解明が進んできたのは最近のことで、急に脚光を浴びるようになった。番組と連動するかのように、きのうは福岡で。来月11日には大宰府で市民フォーラムが開かれる。http://kodaikando.yoka-yoka.jp/
その道が造られ使用されたのは、天智天皇から天武天皇にかけての時代だったというが、その広さとひたすら真っ直ぐなことに驚かされる。
古代の道というと「すべての道はローマに通ず」の「ローマ街道」を思い浮かべるが、実は日本の古代道の方がはるかに幅広く立派だったらしい。「ローマ街道」は、馬車がすれ違うことができるという基準で作られ、アッピア街道の写真でも分るように、幅は日本古代道(12m)の半分以下である。http://ja.wikipedia.org/wiki/%E3%83%AD%E3%83%BC%E3%83%9E%E8%A1%97%E9%81%93
古代道は、北は今の秋田県あたりにまで達し、総延長は、現在の北海道を除く全日本に張り巡らされた高速道路にほぼ匹敵するという。しかも、そのルートが、現在の高速道路とほぼ重なっているというから不思議である。
古代道はその後消えてゆき、その後の道路は狭く、曲がりくねった道になっていく。けもの道が踏み固められ次第に太くなって整備されていく、という「道」のイメージとは違っている。古代道については、まだまだ謎が多いようだ。
調べたら、なんと、うちの近所でも古代道が発掘されていた。写真はJR中央線西国分寺駅南の団地の歩道だ。この歩道、やけに広いなと前から不思議に思っていたが、古代道の発掘跡だった。写真の右下にある黄色いマークが古代道の側溝跡だ。95年に発掘されたという。
http://www.asahi-net.or.jp/~AB9T-YMH/touzando-m/kokubunji11.html
http://www.city.kokubunji.tokyo.jp/shisetsu/1733/003334.html
この歩道の延長上に駅の自転車置き場がある。
以来、毎朝、通勤で自転車を置くたびに「ここに1300年前、道を造ったのだな」と思い起こす。どんな人々が行き来していたのだろうか。
歴史を知ると、いつもの風景が変わって見え、新鮮な気持になる。