セミパラチンスクと北朝鮮1

きのう、民主党政権にかわった歴史的瞬間をテレビで見ていた。
いつまでも続くかと思われた自民党支配の終焉は実にあっけないものだった。フィリピンの民衆革命もソ連の崩壊もそうだが、歴史的な変動は、終わってみると簡単にいつの間にか実現したように感じられる。
民主党政権には、当然のことながら、社会の持続可能性にかかわる問題を重視してほしい。世界的には戦争と地球環境劣化の阻止であり、日本国内では少子化セーフティネット崩壊の問題だ。
大きく言えば戦争の問題にかかわるが、外交には「人権」の精神を強く押し出してほしいと思っている。これは対北朝鮮政策が「核か拉致」かと不毛な二者択一にされかねない現在、とても重要なことだと思う。
三浦小太郎さんの書いた「政府による国民への核戦争−セミパラチンスクと北朝鮮」という論文にはいろいろ考えさせられた。
北朝鮮政治犯収容所の体験者で現在韓国に亡命している姜哲煥(カンチョルファン)氏の証言を引きながら北朝鮮の核実験の裏側にこう迫っている。
《姜氏は、北朝鮮で行われた核実験の場所を、日米韓の専門家の分析によれば、実験場所は吉州郡の萬塔山(マンタプサン)だと確定しているが、その後の同地から脱北してきた難民に聞き取り調査を行った結果、核実験に関連しての住民の避難、退避はまったくなかったという。かつ、吉州郡の住民も核実験場がどこなのかを知らない。
 そして、同時に取材の中で明らかになったのが、この萬塔山と気雄峰という山を境として、同地に化城(ファソン)政治犯収容所が一九八五年から存在し、この収容所は最も重罪の、一度入れられたら二度と釈放される可能性のない「完全統制区域」と認定されている。この化城収容所の北側には鏡城(キョンソン)収容所が隣接していたが、この収容所は一九八九年に解体された。
 この鏡城・会寧収容所で警備兵として勤務していた安明哲氏の証言によれば、「鏡城、化城、会寧の三つの収容所で約十年前から多数の政治犯が『大建設』の名の下に萬塔山にトンネルを掘りに行った」という。
 このいわゆる「大建設」に動員された政治犯は誰一人生きて帰っては来なかったが、安明哲自身、当時その大工事が何を目的としたものなのか知らなかった、今になって地下実験場の建設だったと考えれば合点が行くと語った。
 また、会寧収容所に位置した国家安全保衛部第三局傘下の「予審局」とは、生体実験を総括している秘密部署だったが、九十年代半ば、化城収容所に移動してきた。姜氏は、この予審局は会寧に位置していたときには生物化学兵器の人体実験を行い、化城に移った理由は放射能被害に対する人体実験を行っていたのではないかと推測する。
 地下核実験のための大規模なトンネル工事を、数万人の民間人や軍人を動員すれば、核実験の準備やその場所は噂で漏れ伝わり、脱北者などを通じて国外にも伝わる。しかし、現実には地元の人も含めて北朝鮮住民の誰も核実験場所について知らず、脱北者の中でもこの工事に従事した人はいない。姜氏は、おそらく秘密保持のために、政治犯が核実験場建設の為に動員されたのだと述べた。
 政治犯を動員すればひとまずこのトンネル工事の秘密は保持できる。さらに、トンネルの入り口を政治犯収容所の方に開けておけば、もし事故が起きてもその放射能被害は政治犯収容所にまず送られるので、民間への影響は抑えられる。北朝鮮の核実験場所についてこの秘密保持が徹底できた根拠は、この化城政治犯収容所と密接な関係があると姜氏は分析し、北朝鮮現体制の残酷さを告発した。》
http://aoinomama13.seesaa.net/article/126076622.html
(つづく)