「先の大戦」でいいのか?

きのう17日は私の夏休み。
早い時間帯からテレビをつけて、珍しく「鶴瓶の家族に乾杯」を観た。スペシャル編で台湾・台南が舞台だった。
この地の「こんちには」の挨拶は《ジャッパーボエ》だという。「ご飯食べたか?」の意味。以前、東南アジアの挨拶は「メシ食ったか」が多いと書いたが、台湾もそうだったのか!
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20081213
http://d.hatena.ne.jp/takase22/20090120

ところで、日本があの戦争をなぜ、どのように始めていったのか、いまだに納得できない。
戦後民主主義教育の中で、私たちは、日本は明治維新以来、富国強兵策を押し進め、日清戦争日露戦争を起こし、満州事変から日中戦争、そして太平洋戦争に突入していったと教わる。まるで一直線である。とすると、日本は明治維新から破滅コースを辿り、亡国の路線を着々と歩んできたことになる。明治維新の後は日本史は真っ黒に塗られるのか。では明治維新に貢献した坂本龍馬は英雄ではないのか。
途中に、別の選択肢があったはずではないのか。それはいつなのか。疑問ばかりである。しかし、イデオロギー的な対立が前面に出て、実のある説得力ある議論ができていないように感じる。

戦争を論じようとすると、まず、あの戦争を何と呼ぶのかという呼称の問題に突き当たる。麻生総理は終戦記念日の式辞で、こう言った。
先の大戦では、300万余の方々が、祖国を思い、愛する家族を案じつつ、亡くなられました。戦場に倒れ、戦禍に遭われ、あるいは戦後、遠い異境の地において亡くなられました。また、我が国は、多くの国々、とりわけアジア諸国の人々に対して多大の損害と苦痛を与えております。国民を代表して、深い反省とともに、犠牲となられた方々に、謹んで哀悼の意を表します。》
政府はどうやら公式には「先の大戦」と呼ぶらしい。しかし、まともな呼称とはいえない。
我々が学校で習ったのは「太平洋戦争」だが、これはアメリカの呼び方をそのまま押し付けられたものだ。アメリカにすれば、ハワイを奇襲され、ミッドウエー、ソロモン、アッツから押し返し、フィリピンを取り返し、マリアナ諸島から飛び立ったB29が原爆を落として終ったあの戦争は、まさに「太平洋戦争」だった。だが日本から見れば、太平洋だけではなく、満州からインドまで戦線を大陸に伸ばしていたのだからこの呼称はおかしい。もし日本がソ連に占領されていたら「大祖国戦争」と呼ばされたのだろうか。
私は「大東亜戦争」と呼ぶのだが、友人がそれは反動的な呼称だからやめた方がいい、少なくともカッコつきにするのがよいとアドバイスしてくれた。でも、私が大東亜戦争と呼ぶのは、あの戦争の内実がそうであったと正当化するからではない。正式な歴史的な呼称だからだ。日本政府は「今次の対米英戦争及今後情勢の推移に伴い生起することあるべき戦争は支那事変をも含め大東亜戦争と呼称す」と定め、日本人もそう呼んでいた。
中国では1965年から数百万人が殺され、チベット族をはじめ多くの民族が抑圧され、知識人や文化人が弾圧された時期がある。あれを「文化大革命」と呼ぶ。文化をむちゃくちゃにしたのに「文化大革命」。
ポルポト時代の国号は「民主カンプチア」で、今の朝鮮半島北部は「民主主義人民共和国」。民主主義のひとかけらも存在しないのに。でも名前は名前である。
大東亜戦争」は占領軍に一時、公式文書での使用を禁じられた経緯があって、そこから使用しにくい雰囲気になったようだ。
戦争の呼称からして明確になっていないのだから、先が思いやられる。しかし、あの戦争の意味にはこだわり続けたいと思う。