金正雲に後継指名?1

サンプロで特集「北朝鮮でなにが?〜なぜ後継者は三男、正雲氏か〜」を放送した。
きのう北朝鮮が7発の弾道ミサイルを発射したことを受け、はじめは核・ミサイルの話から入る。体外的に暴れる北朝鮮だが、国内はどうなっているのか?と石丸さんの中朝国境取材に移り、最近北朝鮮から出てきた人たちの多くが「金正雲が後継者になった」と聞かされていた事実を知る。そこで取材班は金正雲氏の素顔を求めてスイス・ベルンへ。ベルンの公立学校には、金正雲氏と見られるパク・ウンという少年が在学していた。兄の金正哲氏と比べて金正雲氏が後継者として取りざたされるのかを追及するというのが特集の内容だった。
ベルンの取材は大変だった。6月14日の毎日新聞のスクープ(http://d.hatena.ne.jp/takase22/20090614)直後から、日本の主要テレビ・新聞・通信社が一斉に現地に入り、取材合戦を繰り広げた。うちは、友人のジャーナリスト、大野和基さんと弊社のバンコク特派員、秋山英樹のコンビで現地に突っ込んだ。ベルンはドイツ語圏だが二人ともドイツ語がまったくできない。
早朝、「内容が分らないのですぐに日本語に訳してくれ」と、現地から会見の音声ファイルが送られてきた。パク・ウン少年のいた学校で記者会見が行なわれたが、すべてドイツ語でお手上げだったのだ。現地協力者もコーディネーターもなく、こんな調子で悪戦苦闘の毎日で、ハラハラしどおしだった。
14日の毎日新聞に続き、翌15日月曜にはTBSがパク・ウン少年の別の写真を発表した。続いて17日水曜には、読売新聞と日本テレビが新たな写真を発掘してきた。
かわいそうとは思ったが、取材班に「写真を入手するまで帰らないように」と指示を出した。現地では、寝る間も削って、その学校に当時在学していた人に片っ端から当たって行った結果、写真も動画も入手し、たくさんの少年の友人にインタビューできた。巨大マスコミ企業を相手に、よくもまあ互角以上に渡り合えたものだ。
現地では別の騒動も起きていた。パク・ウン少年のクラスメートたちが、日本のメディアの取材で一儲けしようと、謝礼を要求しはじめたのだ。「少年と最も親しかった」と自称するM氏など、インタビュー謝礼で5千ユーロ(67万円)!と法外な額を要求してきた。写真や動画も友人同士でコピーされたうえ、まるで「競り」のように値段提示の上で持ち込まれてくるという異様な事態になった。現地の弊社取材班には、取材慣れしていない「ウブな」友人を見つけるという困難な作業が加わったのだった。
ところで、このパク・ウン少年は金正雲なのか。
まず、北朝鮮の普通の人が西側の国に子どもを留学させることは不可能だ。呉振宇(オジヌ)という、総参謀長、人民武力部長を歴任した軍ナンバーワンの実力者がいたが、彼でさえ、子どもを西側に留学させたいと金正日に願い出て拒否され、結局東側の国に留学させている。西側への留学は事実上、ロイヤルファミリーと金正日が直接に許可したごくごく少数の者に限られる。
パク・ウンという名の少年は、98年から00年にかけてベルンのある公立学校に在学していた。大使館員の息子と届け、北朝鮮大使館所有のマンション2フロアに住んでいた。そこは、93年から98年まで「パク・チョル」という名でインターナショナル・スクールに通っていた金正哲が住んでいた同じマンションだった。
少年は友人に、アメリカに行ってプロバスケットNBAを観戦してきたと語り、マイケル・ジョーダンと一緒に撮った写真を見せている。金正哲が3年前、エリック・クラプトンのドイツ公演を見に行ったのをフジテレビがスクープ撮したが、欧米を自由に旅行するなどという行動が取れるのはタダモノではない。
だいたい少年本人がクラスメートに「父親は北朝鮮のリーダーだ」と吹聴し、一緒に写った写真まで持っていたという。誰かがこんな嘘をついたと分ったら、即処罰されるはずだ。
金正哲(ジョンチョル)が「パク・チョル」、金正雲(ジョンウン)が「パク・ウン」というのは分りやすい偽名の作り方だ。
状況的にはパク・ウン少年=金正雲でほぼ間違いないだろう。
(つづく)