文学界新人賞にイラン人

takase222009-05-10

国分寺市国立市のさかいの「たまらん坂」を通りかかったら、たくさん人が集っている。忌野清志郎を偲ぶ人びとだった。道路端に花束が置かれ、ジュースの缶、カップ緬などもお供えされている。私はファンでもなく、知らなかったが、以前ここに彼の実家があって「多摩蘭坂」という歌もあるという。子ども連れの中年組が目立った。
ところで、グーグルで「イラン」のニュースを検索すると、今週はいろいろ出てくる。
イランの大統領選挙に立候補者がそろった。ここでクイズ。さあ、何人立候補したでしょうか。
《【5月10日 AFP】イラン選挙管理委員会のKamran Daneshjoo委員長は10日、6月12日投票のイラン大統領選への立候補の届け出を済ませた候補者が475人に上ったと述べた。Daneshjoo委員長は、記者団に対し「立候補の届け出をした者のうち、433人は男性、42人が女性だった」と述べた。》
40人ではない。400人である。驚いた人がかなりいるのではないだろうか。イラン=独裁国家じゃなかったの?
06年暮、地方議会選挙を取材にはじめてイランに行って、私も衝撃を受けたのだった。首都テヘラン市議会の定数が15議席で、それになんと1300人超!が立候補していたのだ。さらに街頭で市民と話をしてみて、彼らがいかに海外の情報に詳しいかに驚いた。私は、イランは「悪の枢軸」でも「中東の北朝鮮」でもないと結論づけざるを得なかった。http://d.hatena.ne.jp/takase22/20070823
もっとも、立候補届けの後に大きな壁が待っている。
《しかしながら、立候補の届け出を行った人のうち、大統領選への立候補を承認されるのは、一握りの候補者とみられている。最高指導者が任命する聖職者6人と、法学者6人の計12人で構成される護憲評議会(Guardians Council)が、これから、届け出を行った人の中から立候補者を選抜する。2005年の大統領選では、護憲評議会は、立候補の届け出を行った1014人のうち、わずか8人の候補者しか承認せず、最終的に大統領選に出馬したのは7候補だった。》
イランからもう一つのニュース。
《イランでスパイ罪に問われ、禁固8年の実刑判決を受けた日系米国人記者ロクサナ・サベリさん(32)の控訴審審理が10日午前、テヘランの裁判所で開かれた。》
イランでは一方で、こういう言論弾圧がある。ここ数年で外国人記者は何人か捕まっているが、ロクサナさんのお母さんは日本人(お父さんが在米イラン人)だと聞いて、特に関心を持ってフォローしている。
さて次は日本に住むイラン人のニュース。
《第108回文学界新人賞文芸春秋主催)の贈呈式が8日、東京都内で開かれ、イラン人のシリン・ネザマフィさん(29)が日本語で書いた小説「白い紙」で賞を受けた。ネザマフィさんはテヘラン出身。来日して10年になる。神戸大大学院を修了し、現在はシステムエンジニアとして大手電機メーカーに勤務している。大阪府在住。受賞作「白い紙」は、イラン・イラク戦争下の小さな町を舞台に、10代後半の男女の淡い恋を描いた青春小説。日本語を母語としない書き手が文学界新人賞を受賞したのは、中国籍芥川賞作家楊逸さんに次いで2人目。ネザマフィさんは日本語で書いた小説「サラム」で、2006年の留学生文学賞を受賞している。》(共同)
イラン人は勉強熱心で、頭のいい人が多いのだが、この受賞は大変なことだ。
外国語を学ぶとき、母語との「距離」が問題になる。日本語と近い朝鮮語を1年学ぶのと、はるかに遠い英語やフランス語を同じ1年学ぶのでは達成度が全然違ってくる。ペルシャ語インド・ヨーロッパ語族で英語などと同じだ。そこから言語的な距離の遠い日本語を学んで、小説を書き賞までもらうところまでいったというのだ。心から敬意を表します。
この小説が読みたくて『文学界』6月号を買った。
日本語はまだこなれているとはいえないが、イスラム世界の濃厚な匂いが漂っている。100万人の戦死者を出したイラクとのながい戦争が運命を左右した事態の重さを背景に、女性の側からの恋愛が描かれている。一緒に通りを並んで歩くこともできないイランで、どうやって男女が交際するのかはじめて知った。そして、この小説に流れるイラン人の独特の感性を好もしく思った。
ただ、在日外国人の小説なのに、日本が全く登場せずにイランのことで終始するのが、不思議である。
選評を読むと、5つの候補作から選考委員5人全員がこの作品を推している。
「感心したのは、作者が持つイメージだ。時にリアル過ぎ、幻想的でさえあった。この観察力は、他四編には残念ながらなかったもので、作家として信頼に足るものだと思う」(吉田修一
「描写力が優れている。湿度や気候、土埃や血の匂い、喧噪といったものを、こちらの五感を刺激するように作者は描き出す」(角田光代
06年にすでに文学賞を受賞しているが、当時はまだ留学7年だ!いやはや、大変な努力であり才能だ。