金賢姫とマカオ女性の接点

takase222009-03-10

KAL機爆破テロの実行犯の元工作員金賢姫(キムヒョンヒ)に田口八重子さんの親族が明日会う。
金賢姫関連のニュースが流れるなか、きょう、「救う会」のホームページに、興味深い情報が掲載された。http://www.sukuukai.jp/mailnews.php?itemid=1818
曽我ひとみさんの夫、ジェンキンズさんの仲間の逃亡米兵と結婚したタイ人、アノーチャ・パンジョイさんたち女性3人が78年にマカオから拉致された。そのうちの一人が、孔レンインさん(写真)といい、韓国人女優、崔銀姫(チェウニ、北朝鮮に拉致された後、脱出に成功した)が北朝鮮で知り合った人だった。その彼女が、金賢姫(キムヒョンヒ)の中国語の先生だったというのだ。
(なお、私は後に、金賢姫本人からこの情報を確認した)

以下は、今回の情報のもとになった韓国人ジャーナリスト、趙甲済(チョガプチェ)氏のウェブニュース。最後に出てくる孔レンインさんの写真は「救う会」が提供したという。日韓合作の成果である。

金賢姫「私に中国語を教えてくれた人はミス孔」マカオから1978年に拉致された孔レンイン氏、写真で確認  趙甲済
2月末金賢姫氏は私に会ったとき、自分に中国語を教えてくれたマカオ居住拉致被害者の身元について初めて詳しく説明した。金賢姫氏は1984年6月から8月の間、同僚淑姫といっしょに平壌近郊龍城40号招待所で密封収容状態で(招待所に缶詰となって教育を受けること・訳註)中国語教育を受けた。後日、大韓航空機爆破に参与した金勝一とともにしばらく海外実習に行くための準備だった。

金賢姫氏は「マカオ女性から中国語基礎教育を受けた。」と話した。
「そのとき、私に北京語を教えた女性は私より年齢が5歳くらい上の『ミスコン(コンは孔の朝鮮語発音・訳註)』という方でした。典型的な中国美人でした。マカオから拉致されてきたと聞きました。北朝鮮に拉致されてきて収容されている最中に逃げ出してまた捕まったと言いました。崔銀姫氏が手記で会ったと書いたその人に間違いありません。」
1978年マカオで拉致された崔銀姫氏は、自身の手記で北朝鮮の東北里招待所に収容されているとき、散歩をしている途中で「ミス孔」という女性に会い何回も話を交わしたと書いた。日本人拉致救出団体では崔氏の証言を根拠に調査をして2006年にミス孔の正体を明らかにした。ミス孔はマカオリスボアホテルの宝石店で勤務中だった1978年7月に拉致された。観光客を偽装した北朝鮮工作員が案内をしてほしいとだまして他のマカオ女性とともに拉致したのだ。

崔銀姫氏にミス孔は、北朝鮮に連れてこられた後、自分と別のマカオ拉致被害者女性が北朝鮮駐在インドネシア大使館に飛び込んで助けを求めたことがあると語った。インドネシア大使館は二人を北朝鮮側に引き渡した。崔銀姫氏はカソリック信徒であったミス孔から洗礼を受けたという。崔氏はミス孔の洗礼名がマリアだと記憶していた。日本人拉致者団体がマカオに行きミス孔の家族に会ったが、彼らは洗礼名を知らなかった。あとで教会に問い合わせてマリアだと判明した。
崔銀姫は元興里招待所に移ったためミス孔と別れたが、あとで工作員に中国語を教えているという噂を聞いたという。この工作員の中に金賢姫、金淑姫が含まれていたという話しだ。日本人拉致救出団体が確認した「ミス孔」の名前は孔レンインで拉致当時20歳だった。金賢姫より4歳上だ。

私は金賢姫氏と会ってから孔レンイン氏の写真を入手し金氏に送った。何日か後、金氏から電話が来たが「まさにこの女性がミスコンだ。彼女から中国語を学んだ」と確認した。マカオがその後、中国領土に転換したのだから、孔レンイン氏は中国人だ。結局、金正日は友邦国である中国人も拉致したわけだ。「ChoGab-je.com 20090310 10:32」

マカオ拉致事件は、私たちも取材したことがある。
拉致問題の解決は、たしかに遅々として進まないが、拉致という犯罪の実態解明は、ここ数年、大きな前進をとげた。その原動力は、粘り強い日本人の努力である。
北朝鮮がたくさんの国や地域から人を拉致していったことが判明した。また、拉致されたうちかなりの人々が、心ならずも北朝鮮の革命工作に利用されていたことも明らかになってきた。さらに今回、もう一つの事実がはっきりしたわけである。
脱北者や帰国した拉致被害者、ジェンキンズさんなどの証言が拉致問題解決を目指すNGO、マスメディアとジャーナリストの追及につながり、それがさらに新たな証言や事実を掘り起こすという具合に循環し、大きな成果を上げてきた。DNA鑑定で、めぐみさんの夫が韓国人拉致被害者、金英男 (キム・ヨンナム)さんだと突き止めたのも、日本人の運動である。
マカオから拉致された孔さんは中国人だ。これをもっと中国の人々に知らせたい。そして、中国政府の政策に少しでも影響を与えたいものである。