派遣切りに世論の非難が集まる中、派遣法の改正論議がはじまっている。
85年成立した「派遣法」自体には問題はなく、99年に派遣対象業務の原則自由化や04年の製造業への解禁が悪かったのだ、だから99年または04年より前に戻せば良いのだという主張がある。政治家もマスコミもこれが主流に見える。だがそれは違うのではないか。
次の新聞の見出し、いったいいつの記事か分かるだろうか。
《企業の人員削減 泣くのは派遣社員/増える契約打ち切り/弁護士ら来月、電話相談受け付け》
こんな記事、毎日出てるじゃないかと思うだろうが、これは今から17年も前、1992年5月6日の日経夕刊だ。
バブル崩壊後、派遣切りはすでに社会問題になっていたのだ。記事には、東京ユニオンの高井書記長の「企業はバブル崩壊の影響を派遣スタッフを切ることで調整しようとしている」とのコメントがある。今と全く同じ構図である。
すでに92年段階でこんな事態になっていたとすれば、99年より前に戻しただけで問題は解決するわけがないではないか。
上の新聞記事で電話ホットラインに参加する弁護士として登場する中野麻美氏は「人材派遣法制定前から、企業の一方的な契約打ち切りは懸念された。しかし、バブルで企業が潤っていたので問題は表面化しなかった。派遣スタッフも正社員と同様に扱い、きちんとした人員計画を立てるべきだ」と答えている。つまり、「派遣法」自体に問題があったと言っているのだ。中野弁護士はすでに当時から「派遣労働ネットワーク」を作って活動している。
あさって2月1日(日)、テレビ朝日 サンデープロジェクト(10:00〜11:45)で、以下の特集を放送する。以下はジン・ネットの番組宣伝より。
《特集「独走追跡!派遣法 誕生(前編)〜“雇用破壊”の原点はこう作られた」
“派遣切り” の嵐を招いた元凶は何か。99年の派遣対象業務の原則自由化や04年の製造業での派遣解禁が取りざたされている。しかし、本当の問題は85年制定の派遣法そのものに潜んでいた。事実、バブル崩壊後の92年、すでに大量の“派遣切り”が行われ、社会問題になっていたのだ。
労働者派遣には「常用雇用型」と「登録型」の二つがある。「常用雇用型」は派遣会社が常時雇用する社員で、派遣契約が切れても賃金が出る。一方「登録型」は、派遣先から契約を解除されるとすぐに収入を失う。いま問題になっているのはこの「登録型」派遣だ。
雇用の不安定化を招く「登録型」は、当初派遣法に盛り込まれる予定にはなっていなかった。ところが、法制化の最終段階で「登録型」はなぜか突然、法案に書き込まれていた。
我々は法制化に関った関係者を探し求め2人の中心人物を特定。派遣法制定をめぐる歴史の闇を2週にわたり徹底追究する。》
リポートはジャーナリストの内田誠さん。ジン・ネットの石田ディレクターと派遣法制定過程に関った人々を丹念に追いかけて証言を取ってきた。この検証は新聞もやっておらず、資料としても貴重である。この特集を国会の派遣法改正論議でも参考にしてほしい。