日本語のにほひ―「飲む」は「ドリンク」じゃない

元旦、「覚り」について書き始めたはいいが、いざ続きを書こうとするとかなりエネルギーがいる。それで、「覚り」シリーズは充電しながら断続的に少しづつ書いていくことでお許しいただきたい。きょうは、私の得意なというか、好きな比較文化論の話。
外国に行くと日本が見えるという。自国について意識しなかった面に気づくからだろう。同様に、外国語を学ぶと、日本語の特質にあらためて気づかされることがある。
タイに住みタイ語を独学していたころ、在住歴の長いある日本人が、翻訳の難しさについて語っていた。それぞれの言語には独自の歴史があり、それは一つ一つの単語にまで染み付いているという話だったと記憶している。
たとえば日本語の「飲む」という動詞は、英語では”drink”、タイ語では「ウォン」となる。この三つの意味内容はおおむね同じなのだが、詳しく用法を比べていくと重ならない部分が出てくる。
例えばdrinkやウォンは液体状のものを口から入れることだが、日本語では液体でなくとも「飲む」を使う。日本人は、薬なら、錠剤や粉末であっても「飲む」。気体であるタバコの煙まで「飲む」と表現する。
これはなぜなのか?
実は、日本語の「飲む」は、液体かどうかという、口に入れるものの様態よりも、《歯で噛まない》ということが意味の核心らしい。客体よりも主体の側の所作を問題にするのである。噛まずにごっくんと喉を通すということなのだ。
だから、大蛇は人を食べるのではなく「飲(呑)む」のであり、不利な提案を「飲まされ」、咀嚼しないで「鵜呑み」にしてしまうのだ。
たしかに、明解国語辞典を引くと第一の意味にこうある。
《飲む=〔口に入れた物をかまずに〕のどを通して体内に収める。》
えーそうだったんだ、とあらためて気がつき、普段何気なく使っている日本語を見直すことになる。
「食べる」と“Eat” と「キン」(タイ語の「食べる」)もやはり同じではない。
例えば、タイ語では、薬(ヤー)を飲むのを「キン・ヤー」と表現する。日本語と対照的である。アルコールを飲むときも「キン」で、ビールを飲むのは「キン・ビア」。
ビールを「食べる」。こんな表現になるのはいったいなぜなのか?
他方、英語は薬ならeatもdrinkも使わず、take medicineとなる。そのこころは?
こういう違いを探していくのは、とても面白い。
言語は文化の核の一つである。他の言語の意味と重ならない部分=周辺部にこそ、それぞれの言語の違い、ひいては民族文化の「匂い」が濃厚に漂ってくる。
学校の先生方へ。単語の丸暗記はたしかに必要なのだが、それと並行して、比較文化的な面白さも授業で教えてほしいと思う。忙しいのは重々分っていますが。