仕事始め。朝、富士山を見てから出勤しようと近くの陸橋に上がった。
雪を被った真白き冨士が神々しい。
きのう、朝日もグリーンで行こうとの社説を出したことを紹介したが、今朝の日経新聞が温暖化防止を経済成長に結びつけよと檄をとばす長文の社説を載せている。今が歴史的な転換点であることをはっきりとうたい、経団連と経産省を名指しで批判している。ここまで踏み込んだ社説を読んだのは初めてだ。
先月、私は日経がいちはやく旗幟を鮮明にしたことを高く評価したがhttp://d.hatena.ne.jp/takase22/20081229、本気らしい。最後の色をつけたところなどには憂国の情さえ漂っている。この方向が日本でも国民的な支持を得そうな気配が出てきた。日本を含む世界は、いま一気に変化しようとしているのだ。
全文を紹介する。
《社説 危機と政府(最終回) 環境・エネルギーを成長回復の主役に(1/5)
2009年、世界の経済施策は緑一色に染まる。環境・エネルギー分野への巨額の集中投資と、それによる雇用の創出、いわゆるグリーンニューディールが、世界の主要国で経済・産業浮揚策として、いっせいに動き出すからだ。
1月に就任する米国のオバマ新大統領は、風力、太陽光、バイオマスなど再生可能エネルギーの開発・導入に、10年間で1500億ドルを投じ、500万人の新規雇用(グリーンジョブ)を創出すると宣言している。
国策はみな緑一色
英独仏の欧州各国政府も環境とエネルギーへの投資をバネに雇用拡大をめざし、矢継ぎ早に新制度を提案している。中国と韓国も、政府の景気浮揚策は環境投資、グリーンへのシフトが鮮明である。
各国の構想はいずれも大規模かつ迅速で、しかも具体的である。オバマ構想では、家庭で充電できるプラグインハイブリッド自動車を15年までに100万台導入し、再生可能エネルギーの比率を25年には25%に高めるとしている。ドイツは、20年には再生可能エネルギー産業を自動車産業を上回る規模、売り上げ2400億ドル、雇用25万人に成長させる計画だ。
世界同時不況の様相を呈する経済の急速な悪化。危機のふちにあって、主要国政府のほとんどは、苦境を乗り切り持続可能な成長へとつなげる道として、「環境」を選んだ。石炭をむさぼり、石油をがぶ飲みしてきた文明が、100年に1度の危機に際して、エネルギーシステム全体の大転換に向けて大きくカジをきったといってもいい。
そんな中で、環境立国を唱える日本政府の立ち位置がはっきりしない。ハイブリッド車や電気自動車の自動車重量税の軽減や、省エネ住宅や省エネリフォームへの減税など、需要喚起策とセットでグリーン税制は少し広がったが、環境税など本質的な環境税制についてはまたも議論は先送りされた。
世界がグリーンニューディールに動く中、日本はどんな戦略で臨むのか、政府からは何のメッセージも伝わってこない。先ごろようやく決まったCO2など温暖化ガスの排出量取引の中身を見る限り、今や米国を抜いて世界でいちばん環境に背を向けている先進国といわれてもやむをえまい。排出削減に義務も課さなければ罰則もない制度なのだから。
グリーンニューディールは、大きな政府が税金を大量に使って環境投資をし、強力な権限を行使してがんじがらめの環境規制を行う策ではない。オバマ構想で再生可能エネルギーに投じる1500億ドルは、キャップ・アンド・トレード(C&T)とよばれる排出量取引で、企業に有償で排出量を割り当てる際に発生する膨大な収入をあてることにしている。
EUで始まったC&T型の排出量取引は、日本経団連と経産省が義務(キャップ)を嫌って反対を続けている日本を除く先進各国が導入を決めている。特にオバマ米次期大統領は、その排出量取引で企業への割り当てをすべて有償のオークション方式にするとしている。スタート直後からすべてオークションで可能かどうかは未知数だが、グリーンニューディールの有力な財源ではある。
哲学と手法の貧困
その有力な財源が日本にはない。代わりに日本には環境技術力があるという説が何の検証も無いままに流れている。たとえば、非食料系のセルロースからバイオ燃料をつくる技術。最も重要なセルロース分解酵素は、米国の企業が握っている。太陽電池も日本で設置の補助を政府が打ち切っている間に、生産量でドイツの企業に抜かれてしまった。
企業の技術開発は具体的な需要によって飛躍的に進展する。要素技術の芽だけではビジネスにはならない。需要創出のためには、時に政策的手段が必要になる。ドイツの自然エネルギーの定額買い取り制度はその典型だろう。コスト競争では今のところ化石燃料に対して勝ち目のない太陽光や風力の電力を電力会社が定額で買い取る仕組みだ。
当初は定額買い取りに消極的な評価をしていた国際エネルギー機関(IEA)も、今や再生可能エネルギーの普及には極めて有効な手段と、評価を変えている。しかし、日本ではこれも実現していない。
財源も政策手段も貧弱な日本政府だが、最も危惧されるのは、環境に関する哲学的・文明史的な理解が、他の主要国政権に比べて、決定的に不足していることだ。この景況下でも、低炭素社会への動きは緩まない。世界は50年までに環境分野に約45兆ドルを投じるとみられる。その受け皿として機能する構造に日本経済は変わりうるだろうか。》