脱北者を受け入れる意味4―北朝鮮がお膳立てした帰国運動

takase222008-12-07

急に寒くなってきた。テレ朝や大使館のある麻布方面はよく足を運ぶが、善福寺という浄土真宗のお寺に大銀杏がある。一面の黄色の中に親鸞聖人が立つ。
きのう、ある会合で『読売ウィークリー』で朝鮮半島問題を書きまくっている菊池嘉晃さん、TBSで拉致をはじめ北朝鮮問題を取り上げてきた吉田豊さんと会った。奇しくも、菊池さんの『読売ウィークリー』は廃刊だし、吉田さんがいる『ニュース23』もなくなってしまう。持ち場は変わっても活躍してもらいたいものだ。
菊池さんは韓国留学の経験を持ち、「帰還事業」研究の第一人者だ。きのう紹介した朝鮮総連を相手取った裁判で原告側が全面的に依拠しているのが、彼が新資料を発掘して『中央公論』(06年11月)に書いた論文だ。
従来は、58年8月総連川崎支部中留分会が集団帰国決議を行ない、これに金日成が帰国者歓迎と生活保障を表明して、帰国運動は爆発的に拡大したということになっていた。これに対し、訴状は菊池論文を引用しながら、運動拡大は北朝鮮当局の周到なお膳立てだったとして、こう書く。
《帰国者の受け入れを決めた真の理由は「平壌やその他の地方では、産業部門、特に石炭業、そして農業においても労働力の不足が感じられるが、彼らにはそうした場所で住宅建設や産業建設の仕事を与えることが出来るだろう」という言葉から読み取れる。当時の北朝鮮では第1次5カ年計画(57〜61年)の遂行のための技術者・労働者が不足していた。つまり金日成は、帰国者を当初から労働力の不足する部門で活用しようと意図していたのである。
さらに金日成は「在日朝鮮人の帰還」のもたらすメリットについて「我々は大きな政治的意味を見出す。実現すれば、共和国に政治的・経済的に大きな利益をもたらすだろう」と述べている。政治的意図を持っていたことは、日朝赤十字間で帰還協定が仮調印された後の1959年7月南日外相がソ連の高官ミコヤンとの会談で「帰還をめぐる問題提起は、李承晩が負けたのに対して、共和国には政治的勝利をもたらした。彼は単に南朝鮮に人々を受け入れられないどころか、逆にラテンアメリカ諸国に失業者を送り出す準備をしている」と述べたことからも分かる。
このように、表向きは「祖国への帰国を念願する在日同胞への温かい配慮」を強調していた北朝鮮政府だったが、実際には、激しい体制競争を続けていた韓国への政治的勝利と北朝鮮の優位性の宣伝、労働力の補充を通じた経済的効果など、北朝鮮側の政治的・経済的利益を冷徹に計算していたのである。
また帰国者の中に「反動人員」「スパイ」が混じってくることも想定しており「しかるべき組織がきちんと機能している限り、我々は恐れることはない」と述べている。つまり北朝鮮当局は当初から、帰国者や日本人妻らを情報機関・警察により監視することを想定していたわけである。》

夜は脱北者の家族のアパートに行って飲み会。そこで、お母さんから一緒に脱北してきた娘さんの就職の世話を頼まれた。娘さんは30歳代前半で、向こうでは企業のマネジメントを担当していたという。来日1年半ほどだが、真面目に日本語を勉強して、だいたい日常会話なら理解できる。漢字もそこそこできて、いま日本語の文章をパソコンで入力するバイトを自宅でしている。脱北者は知り合いもなく、アパートにこもってしまう傾向がある。「北朝鮮帰国者の生命と人権を守る会」(守る会)代表の三浦小太郎さんは、脱北者には、「安い給料でも不定期の仕事でもいいから、できるだけ外に出て日本社会にもまれた方がいい」とアドバイスする。
このブログを読んだ人がどこか会社を紹介していただければ嬉しい。とても誠実な女性だ。
(つづく)