「ぼけ」と幸せ 2

私はアルツハイマーの番組制作に関わったこともあり、痴呆には以前から関心を持ってきた。
痴呆については『痴呆の哲学−ぼけるのが怖い人のために』(弘文堂)という、とても面白い本がある。常識を引っくり返し、考えるヒントがちりばめられた本なので、紹介してみたい。
著者は、痴呆老人の臨床にも携わってきた医師・研究者で東大名誉教授、元国立環境研究所所長の大井玄(おおい・げん)先生(http://www.fuanclinic.com/ooi_h/ooi_menu.htm)。実は私は、岡野守也先生(http://blog.goo.ne.jp/smgrh1992)の下で唯識をともに学んだ「学友」なので、大先輩だが大井さんと呼ばせていただく。
アメリカで長く研究生活を送った大井さんによれば、痴呆への恐怖は、日本人よりアメリカ人の方が格段に強いそうだ。
アメリカ人が持つ最大の恐怖は、老いて痴呆になり、ナーシングホーム(老人ホーム)に追いやられること」だ。この恐怖の元は、激しい競争社会における能力主義だと大井さんは言う。
ハーバード大学からやって来た女子院生が、東大医学部の院生たちが互いに助け合って仕事をしているのを見て、カルチャー・ショックを受けた例が紹介されている。
「信じられないわ。ハーバードではだれもが他のだれもと競争しているのに!」
これはジャーナリズムの世界も同じで、アメリカ人記者は同じ新聞社に属していても、情報を交換したり共有したりしない。同僚は即ライバルなのである。
一時導入するのが流行だった「成果給」を近年やめる日本企業が増えているというが、能力主義についての風土はいまだに日米でかなり違う。
競争に勝ったものは気の遠くなるような収入を得、競争に負けた者は、基本的な医療さえ拒否されるアメリカ。個人が競争で社会階層の上昇をめざすのが当たり前の社会では、知力、体力、若さ、健康などの「能力」こそが重要である。
そこでは、「能力」を失った人、つまり、年老い、知力が低下し、美しさが消え、身体が不自由になり、生産性がない個人は、負の存在でしかない。アメリカ人にとってこれほどの恐怖はない。
そして誰しも、加齢とともに、競争に取り残されたと感じるときがやってくる。その心理的圧力はすさまじいようだ。特にその競争の前面に立ってきた白人男性では、自殺率が85歳以上で10万人当たり72人、これはアメリカ全体の平均が18人くらいだから突出して高い。一方、競争に参加することが少ない黒人ははるかに低いという。また、白人の男女の自殺率は、青年では3対1だが、65歳以上は10対1、85歳以上では14対1にもなる。
ところで、世界の自殺率リスト(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%9B%BD%E3%81%AE%E8%87%AA%E6%AE%BA%E7%8E%87%E9%A0%86%E3%83%AA%E3%82%B9%E3%83%88)によると日本は世界9位で、アメリカの41位をはるかに凌駕している。これについては、またいつか書きたい。
こうして、能力の数が増すほど競争を勝ち抜く確率が高くなり、より幸せになれるという信念が存在する。
では、能力は実際に幸せを保証するのか?
(つづく)