玉城素さんを偲ぶ会 2

朝鮮戦争勃発直後、国連安保理北朝鮮弾劾決議を採択するが、そのさい、拒否権を持つソ連がなぜ欠席したのかは私も前から不思議だった。
ウィキペディア朝鮮戦争」にはこう書いてある。
《6月27日に開催された安保理は、北朝鮮を侵略者と認定、“その行動を非難し、軍事行動の停止と軍の撤退を求める”「北朝鮮弾劾決議」を賛成9:反対0の全会一致で採択した。ちなみに拒否権を持ち北朝鮮を擁護する立場にあったソ連は、この年の1月から中華人民共和国中国共産党政府の認証問題に抗議し、理事会を欠席していた。決議の後、ソ連代表のヤコブ・マリクは国連事務総長トリグブ・リーに出席を促されたが、スターリンにボイコットを命じられているマリクは拒否した。スターリンは70歳を超えており、すでに正常な判断ができなくなっていると周囲は気付いていたが、粛清を恐れて誰も彼に逆らえなかったという。》
玉城素(もとい)さんは、国連安保理欠席は、スターリンの遠謀だとの説を唱えた。これが、今年6月下旬、産経新聞黒田勝弘記者のソウル発記事で裏付けられた。
朝鮮戦争(1950ー53年)についてはこれまで、北朝鮮を非難する国連安保理に同盟国のソ連が欠席したことがナゾになっていたが、その理由は米国の参戦を誘導し、米国をアジアに介入させることでヨーロッパでの米国の力をそぐためだった、ということが明らかになった。
 これは韓国人の学者(金東吉・北京大教授)がロシアの研究者から提供された旧ソ連スターリン関連極秘文書で確認したもので、韓国の中央日報25日付がワシントン発で伝えた。
 それによると当時のスターリン首相は開戦から2カ月後の1950年8月27日、チェコのクレメント・コトバルト大統領に送った極秘電文でソ連安保理欠席の背景について「米国に安保理での(北朝鮮非難や国連軍派遣の)決議をしやすくしてやるためだった」とし「米国が中国や朝鮮半島に引き込まれれば、われわれがヨーロッパで社会主義を強化するため時間をかせぐことができ、勢力均衡で利益を得られるだろう」と述べているという。
 北朝鮮による韓国に対する武力南侵攻撃だった朝鮮戦争は、国際共産主義運動の一環として金日成が中ソの同意の下で始めた。しかし開戦直後、国連安保理ソ連が米国が主導する韓国支援の国連軍派兵に反対しなかったことが歴史的ナゾとして残っていた。》(http://sankei.jp.msn.com/world/korea/080626/kor0806262122009-n1.htm
黒田勝弘記者がわざわざソウルから「玉城素さんを偲ぶ会」に参加し、このエピソードを紹介してくれた。
玉城さんが、内部資料が表に出ない段階で、この解釈をしたというのは大変なことだ。こいうのを「眼光紙背に徹する」というのだろう。
北朝鮮研究でも、玉城さんは、北朝鮮が公開した資料を読み込むという手法で、あの国の欺瞞を暴いたのだった。
玉城さんの慧眼の第三は、61年に朴正熙が起こした政変を、将来展望を持った「革命」だと評価したこと。単なる軍事クーデターだとされた事件に、直後に早々と全く違う解釈をしていた。
第四には、文化大革命開始直後に、毛沢東が思想的創造性を失ったと断言したこと。
ソ連社会主義スターリン主義への反発もあって、文革をロマンチックに讃えた左翼人士は多かった。いや左翼だけでなく多くのインテリとマスコミ人とくに朝日新聞の入れ込み方はすごかった。
私は後に大学で中国研究会に入り、いわゆる「文革派」と闘うことになるので、この辺の事情はよく知っている。玉城さんは、左翼における毛沢東批判のパイオニアだったのである。

玉城さんは気概を持った少数派として道を切り開いてきたのだ。イバラの道だったはずだが、実にかっこいい生き方だと思った。