金正日体制崩壊を唱える「T・K生」

40代以降の人なら「T・K生」を知っている人も多いだろう。
73年から88年まで、月刊誌『世界』に「韓国からの通信」が「T・K生」の名前で連載された。韓国の独裁体制を激しく批判し、日本人の韓国イメージに大きな影響を与えた。
その一方で、北朝鮮に対してはいっさい批判せず、むしろ弁護する側に回った。83年、全斗煥大統領を狙ったラングーン爆破テロ事件や、87年の金賢姫が実行した大韓航空機爆破テロ事件なども韓国の謀略だと強く示唆した。
「北を非難することは今では彼(朴正熙大統領)を助けることになる」「北に対する非難や批判をわれわれは当分の間カッコに入れておかなければならない」(75年6月号)という立場を取った。
03年7月、池明観(チ・ミョングァン)氏が「T・K生」は自分だったと明らかにした。彼は東京女子大教授として当時、東京に住んでいた。その後、池氏は金大中政権で国営放送のKBS理事長などを務めていた。
保守派からは親北左翼知識人として批判を浴びてきた池明観氏だが、ある新聞のインタビューでこんな発言をしている。
《北の体制を国際的に保証することで、朝鮮半島に幸せがもたらされるとは考えられないのです。》
《北の体制を、限定的な形―核施設や権力中枢への(米国の)武力行使によって壊すしかないのか。
いくら限定的な攻撃でも、犠牲は伴う。犠牲が多く出るのは、私自身、堪え難い。ただ、今の北の現状からすれば、強硬策もやむを得ない。せいぜい考えられるのは・・・いかに犠牲を少なくするか。いかに非人間的にならずに現実に対応できるか・・・こんなジレンマに陥ったのは、初めてです》(東京新聞03年9月15日)
アメリカによる北朝鮮爆撃まで容認するかのような、驚くべき発言。
彼をここまで変えたのは何だったのか。
(つづく)