ヒマラヤを越える子供たち

こないだの週末、長野県に住む友人が、東京でチベット祭りに参加するので上京する、ついてはぜひ来てほしいと誘われた。ものすごく忙しかったのだが、そこまで言われれば行かないわけにはいかない。
ポレポレ東中野で「受難と祈り」という祭りがあった。いろんな展示があって、映画も上映していた。思いのほか参加者が多い。映画会場で立ち見が出て、120人はいただろう。チベットファンの層は厚く、しかも若い人の比率が高いことに驚く。
そこで売っていたDVDを買った。「ヒマラヤを越える子供たち」。
私がインドのチベット亡命政府の取材をしたのが1992年。そのとき、亡命政府がある北インドダラムサラに、まだぞくぞくとチベットから逃げて来る人がいるのに驚いた。登山家でもなく専門的な装備もないのにヒマラヤを越えるというのは、命がけである。中共チベット侵略が1949年なのに、そこまでしていまだに逃げてくるというのは、尋常な話ではない。とくに子供が多い。親たちは、伝統の文化がないがしろにされた教育を受けさせたくないと、おそらく二度と会えない覚悟で子供たちを送り出すのだ。そういう子供たちを受け入れる学校に行ったことがある。ダライラマの妹が校長だった。寄宿舎生活だが、夜になると「お母さん」と泣く幼い子もいる。こんなことを許していいのか。
中国という国に決定的な不信感を持ったのがそのときだった。私ははじめから反中国なのではない。私はコミュニストだったし、学生時代、「中国研究会」というサークルに所属し、「文革」には批判的だったものの、「支那」(=チャイニーズ)には理解のある方だったのだ。ダライラマに灌頂を受けたこともあって、かなり大きな思想的転換をとげた。いま考えるとあれもめぐり合わせだったのだろう。
「ヒマラヤを越える子供たち」には、中共チベット侵略から60年近くたった今も、たくさんの子供たちがヒマラヤを越えてくる実態が映し出されている。年間400人にはなるという。途中で飢えと寒さで死ぬ子もいるし、凍傷で手足をなくす子もいる。画面に映されるのは10歳以下の子供たちばかりだ。逃亡に成功した子もみな疲労困憊してぐったりしている。いたたまれない。「義憤」というのはこういうときに使う言葉だろう。
2006年9月30日、中国、ネパール国境のナンパ・ラ峠でネパールに向かって歩いていたチベット人一行に対して中国警備兵が発砲した事件がある。近くにいたヨーロッパ人登山家(ルーマニア人)によってその一部始終が撮影されその映像がネットによって世界中に配信された。http://kokoniizuru.blog.so-net.ne.jp/2006-10-21
これを見ると、猟師が野生の鹿でも撃つような感覚で、チベット人殺戮がごく平然と行なわれていることがわかる。殺されたのは2人だが、その他のチベット人数十人は、撃たれた二人を残して黙々とそのまま歩いていく。まるで、こんなことはいつも起こっているかのように。
70年代から「日中友好」という言葉がもてはやされた。今も、経済界はじめ中国への親近感がふりまかれている。中国は大躍進・文革時代はともかく、今はおそらく北朝鮮とは違って、純然たる「全体主義」ではない。
しかし、「普通の国」扱いをしてはいけない国であることが、この映画を見るとよくわかる。
DOWN WITH CHINA!