くまのプーさんとナチズム 2

私の中学時代から大学にかけて、最も関心を持ったニュースはベトナム戦争インドシナ戦争)だった。アメリカの侵略であるこの戦争に対して、当時反体制活動家は二つの立場に分かれた。
一つは「反戦」、つまりいかなる戦争にも反対するという立場で、アメリカ、北ベトナム、両方の当事者に戦争をやめるよう求めることになる。その代表格が「ベ平連」(ベトナムに平和を!市民連合)だった。
一方、ベトナム人民=北ベトナムを応援して勝利させようという立場があった。私が参加した「ベトナム人民支援委員会」がその一つで、米軍の戦車がベトナムへと送られるのを阻止しようと相模原補給廠にデモをかけたり、バザーでの売上金をカンパとして北ベトナムに送ったりしていた。
《平和》をどのようにとらえるかという大きなテーマを考えさせられたものだ。
くまのプーさん』の著者ミルンは、このテーマに正面から取り組み、自ら行動も起こしていった。安達まみ『くまのプーさん 英国文学の想像力』(光文社)から紹介しよう。
30年代、戦争の足音が近づく中、ミルンは国際連盟に希望を託して必死に平和主義を提唱した。34年には『名誉ある平和』を出版し、「ふたたび全ヨーロッパを巻きこむ戦争がおきれば、文明が完全に崩壊することは必至である」と書いた。さらには、英国が植民地を解放すべきだとさえ主張した。
ところが、35年のムソリーニのエチオピア侵攻、36年のドイツ軍のラインラント進駐に直面して、ミルンは国際連盟に託した希望が非現実的だと考え、英国の民主主義のためだけでなく、未来の世界平和を守るためにも戦争はやむをえない、と考えるようになる。
英国とドイツが戦争に突入した直後、ミルンの手紙がタイムズ紙に載った。そこには、「全体主義国家は文明世界に存在してはならないことを宣言しようではないか」「民主主義を通してのみ世界は平和のうちに生きられると確信するからである」とある。
さらに彼はこう言う。
ヒトラー主義に比べれば、戦争のほうがより小さな悪だと信じる。ヒトラー主義の息の根を止めなければ、戦争の息の根を止められないと信じる。ひとつの戦争を回避したり、停止したりするより、戦争そのものを廃止することのほうが大切である》
ミルンの軌道修正は多くの批判を招いた。しかし彼はその立場に立って、英国の兵士のためのパンフレットに、参戦すべき理由を書いて鼓舞したりもしている。
ミルンの真摯な姿勢に、私は深い尊敬の念を抱く。ミルンはまさに闘う児童文学者だったのである。

(つづく)