早紀江さんのコスモロジー めぐみさんの使命

 自分を含めたこの宇宙がどうなっているのかという認識をコスモロジーという。
 私が日記で書いてきたのは、日本の古いコスモロジーが、戦後の急激な価値転換で破壊され、代わりに物質科学主義的なコスモロジーが蔓延したことから、個人の生き方から社会の倫理までが揺さぶられているということだった。
 これを私たちはもっと自覚したほうがよいと思う。また、個々人の人生観のベースにコスモロジーがあるということも。
 私は、ここ数年、日本の世論を左右した最強のオピニオンリーダーは、横田早紀江さんだったと思っている。早紀江さんの言動がなぜそれほど国民の胸に響いたのか。そこには早紀江さんのコスモロジーが与っていた。 
 北朝鮮が、訪朝した小泉首相に、これまで否定し続けてきた拉致を認めた2002年9月17日。政府は五人生存、八人死亡という北朝鮮側の説明をそのまま事実だとして発表し、日本中が悲嘆と憤激につつまれた。
 家族会の共同記者会見での横田早紀江さんの発言は強烈な印象を与えた。咳き込みながら涙にくれる横田滋さんの脇に立ち、マイクに向かって早紀江さんが発した言葉の一つ一つが胸に迫ってきた。
 ぜひ後世に残しておくべき言葉だと思っていたが、昨年末に出た草思社の『めぐみへ 横田早紀江、母の言葉』に全文収録された。
 《私たちが一所懸命に支援の会の方々と力を合わせて戦ってきたこのことが、大きな政治のなかの大変な問題であることを暴露しました。このことは本当に日本にとって大事なことでした。北朝鮮にとっても大事なことです。そのようなことのために、めぐみは犠牲になり、また使命を果たしたのではないかと私は信じています。いずれ人は皆、死んでいきます。本当に濃厚な足跡を残していったのではないかと、私はそう思うことでこれからも頑張ってまいりますので、どうか皆さまとともに、戦っていきたいと思います》(この前後を省略してある)
 あの時はめぐみさんの「死亡」が前提とされていたから、その母としては、「ひどすぎます」「許せません」と言って泣き崩れて当たり前なのである。それを、めぐみさんが、あることのために「犠牲になり」「使命を果たした」と言い切ったのだ。
 テレビを観ていた人々は、早紀江さんに、一人の被害者の母以上のものを感じたはずだ。とくに、「使命」という、突き抜けた、ある「高み」から発せられた言葉に、よく分からないながらも不思議な感動を覚えた人がたくさんいただろう。
 あとで早紀江さんに聞いたら、何も用意せずに会見に臨んだので、完全なアドリブ発言だったという。普段考えていたことが思わず口に出たというのだ。
 早紀江さんの心の中では、めぐみさん失踪のあと、想像を絶する苦悩を経て、大きなコスモロジーの転換が起きていたのである。
 「使命」とはいったいどんな意味だったのか。
(つづく)