チベットとの遭遇2 ギュメ寺にて

きのうの日記に紹介した「日本政府に対する公開書簡」の呼びかけ人に平岡宏一さん(清風学園 副理事長)の名前を見つけて懐かしかった。http://www.tibetsupport.net/?page_id=10
平岡さんは日本におけるチベット密教研究の権威の一人だ。私は16年前の92年に、インドで平岡さんに会っている。インド各地にある亡命チベット人のセツルメント(居住地)を回っていたとき、南インドにある「ギュメ寺」という格式の高い学問寺を取材した。
ギュメ寺とは、チベットのラサにあるチベット密教最高の学問寺で、それが亡命チベット人によって南インドバンガロール近くのフンスールに再興されている。到着すると、その寺には日本人留学生がいるという。それが平岡さんだった。私はその夜、お寺に泊めてもらい、夜遅くまで平岡さんと話した。平岡さんは当時、高野山大学の大学院生だった。真言密教を学んでからチベット密教の勉強にきたという。
真言密教チベット密教、同じ密教でも違いますか」と私が聞くと、
「レベルが全然違いますよ。大学院生と小学生くらいの差です」との答え。
「どっちが大学院生なんですか」(私)
「もちろんチベット密教です」(平岡)
このやり取りは今も鮮明に覚えている。私がチベット密教を勉強したいと強く思うようになったのは、この夜の会話からだった。
翌93年9月、NHKスペシャルで「チベット死者の書」が放送された。私がチベットフリークになったのを知っていた友人が、当時私が住んでいたバンコクまで番組コピーを送ってくれた。ドキュメンタリー編とドキュメンタリー・ドラマ編の2回シリーズで、人は死んで49日後に転生することを前提に、その生まれ変わりを実践的に導く秘法を描く、異色の番組である。
死にそうな人のいる家に僧が呼ばれ、死にゆく人の耳元でお経を唱えるシーンが印象に残っている。そのお経こそ「死者の書」で、よりよき転生のためのいわばガイドなのである。そのお経は死後も唱え続けられる。まさかと思う話なのだが、権威あるNHKの番組で、チベット人たちがひたむきに実践する姿を観て、「何かあるかもしれない」という思いを視聴者は抱いただろう。また、死について考え込んだ人も多かったろう。
そもそも「死者の書」とは、チベット語で「バルド・トドル」といい、チベット仏教の開祖、パドマサンパヴァが著した経典とされている。パドマサンパヴァの5回目の再生者、カリマルンパが、長く山の中に埋もれていたこの経典を見つけたという。こういうお経を「埋蔵経」といい、世の中が必要としたときに「発見」されるのである。この辺からして我々の理解の外の世界だ。
なお、日本では何種類かの「死者の書」が翻訳されているが、上に挙げたものはチベット仏教4派中のニンマ派のものであり、学研から平岡さんの訳で94年に出版された『ゲルク派版 チベット死者の書』は法王の属する主流派ゲルク派に伝わる「クスムナムシャ」という教えで全く別物である。平岡さんの訳した方には、ダライ・ラマが序文を寄せている。
日本でチベットへの関心が高まったのは80年代後半からだったようだ。83年中沢新一氏が『チベットモーツァルト』を書いたのは、そのはしりだったのだろう。オウム真理教の前身「オウム神仙の会」が87年に設立されている。私がチベット仏教の瞑想を勉強しようと買った『チベットメディテーション』(日中出版、ペマ・ギャルポ訳)が出たのが89年。
チベットのスピリチュアルなものへの関心がピークに達したのが、NHKスペシャル「チベット死者の書」(93)年だったように思う。この脚本を中沢新一氏が書いている。
その後、95年3月の地下鉄サリン事件でオウムが摘発されると、チベット仏教や瞑想、ヨガなどは一緒くたにされて、怪しげな目で見られるようになり、ブームは一気にさめた。ヨガは神秘的要素を剥ぎ取られて、健康体操へと「純化」した。
いま「スピリチュアル」といえば、「オカルト」の同義語である。このままではいけないのだが・・・。