いまだに人気のマルクス

takase222008-02-19

ロンドン北部の高級住宅地ハイゲートの墓地に行った。途中道を尋ねたらほとんどの人が、「カール・マルクスのお墓を観に行くんですね」と返事を返してくる。ちょっと意外だった。ソ連・東欧の崩壊、中国の転換のあと、マルクスの墓がいまもなお観光名所なのだ。
マルクスの墓が目的ではなく、取材ですぐ近くに来たのだが、時間が余ったのでついでに見物した。
ここはプライペートの墓地なので、入り口には管理人がいて、観光客に入場券を3ポンド(約660円)で売る。今も新たな埋葬がある現役の広大な墓地である。ムスリム仏教徒もいるし、ダビデの星のマークのあるユダヤ人の墓もあった。
遠くからマルクスの墓は目立つ。まわりから浮いている。巨大な顔がドーンと石の上に乗っかっている。WORKERS OF ALL LANDS UNITE とある。「万国の労働者よ団結せよ」と訳されるスローガンである。
私は若い頃マルクス主義を「信じて」いた。マルクスが不倫して私生児を生んだというのはほぼ定説になっているが、そんなはずはないと反発したものだ。彼も生身の人間で、そんなことがあっても何の不思議もないのに。
マルクスの墓の前で感じるものがあるかと思っていたが、特別な感慨はわかなかった。年月の経過と自分の考え方の変化を思った。
私はマルクス主義から離れたが、マルクスの提起した、労働価値説そして労働と労働力をはっきり分けて賃金分の労働力の価値を上回る剰余価値が資本主義的利潤の源泉だという剰余価値説は今でも正しいと思っている。
だが、それは原理のまた原理で、現実社会の分析には直接には役立たない。原理から社会の現状分析の間には、あまりに多くの媒介項が入ってくるからだ。その上さらに、人間が社会関係の総体なのは確かだが、社会関係の解析だけで人間を理解するのは無理だ。人間はほとんどが水でできているという基本的な事実からは、リアルな人間を理解できないように。
若い私はその無理なことを信じていた。宗教原理主義やオウムなどに走る若者に、昔の自分を見る思いをして痛々しいと感じることがある。ラディカル(根底的)であり続けたいと思う気持ちは今もある。ラディカルの中身が変わっただけだ。ラディカルでかつ現実的な道を探していきたい。