ベルリンと北京の五輪をめぐって

takase222008-02-09

写真は蝋梅(ろうばい)。寒さの中に咲く花で、下を向いているところが、地味でけなげである。
きょうの朝日新聞朝刊の記事が《良識派を演じつつ極めて偽善的という新聞のしばしばあるパターンがかなり直接的に現れている》と、評論家の三浦小太郎さんからメールが入った。
俎上に上げられたのは『写真が語る戦争 ヒトラーベルリン五輪』という記事。
記事は、《ヒトラーがこのオリンピックを利用してナチス・ドイツを国際的にアピールし、開催中はユダヤ人を迫害する看板を隠すなど「平和国家」を演出、一方で戦争準備を着々と進めていたこと、ドイツ民衆もヒトラーに魅せられてしまったことを指摘》するものだ。
これに対して、三浦さんはこう疑問を呈する。
《これって全て今年八月の北京オリンピックに当てはまるんじゃないの?
オリンピック期間中、中国政府は脱北者のみならず、あらゆる人権侵害を隠そうとする、もしくは、少数民族の選手団や応援などを演出して「平和国家中国」をアピールするでしょう。「五輪の精神」には多分今の中国共産党政権も興味ないけど、国家宣伝にはいいから利用するわけでしょう?》
ベルリン五輪の記事に戻ると、ナチスの五輪から中国の五輪を見るという三浦さんの視点は、世界の二重基準を考えさせる。
さらに記事の一コーナーは『優勝にも笑顔なく「屈辱」』との見出しで、ベルリンオリンピックのマラソン選手、孫基禎選手のエピソードが載っている。ベルリンで朝鮮半島出身者の孫選手が日の丸をつけて走り、優勝したが、孫選手は後に「ポールにはためく日章旗を眺めながら、『君が代』を耳にすることは耐えられない屈辱であった」と述懐したと記事は書く。
これについて、三浦さんは、チベット人も、ウイグル人も、メダルを取ってもチベット国旗やウイグル東トルキスタン)国旗を掲揚されるのを見ることができず、中華人民共和国国旗と国歌を受け入れなければないという問題を指摘する。
私は十数年前、インド、ダラムサラチベット亡命政府を取材したことがある。そこに逃げてきたばかりの難民が数十人収容されている施設があったのに驚いた。1950年の中共軍のチベット侵攻から40年以上経つのにまだ逃げてきている事実に、普通でないものを感じた。
もしも五輪で、チベット族選手が表彰台にのぼることがあったら、そこではためく中国の国旗を、チベット同胞はどんな気持ちで見るのだろうか。