きのうの豪雪で、娘が雪ウサギを作った。赤い目は百両の実。今朝の寒さでカチカチになっていた。
ソ連・東欧の体制崩壊には、85年のゴルバチョフのソ連共産党書記長就任が決定的だった。89年3月、ソ連史上初めての自由選挙となった第1回ソ連人民代議員大会選挙で共産党幹部が続々落選し、民主化の旗手サハロフ博士が当選。
89年6月のポーランドの選挙では「連帯」が圧勝し、9月に「連帯」主導の内閣が成立する。だが、以前のようにソ連は干渉してこない。このころから、東欧の体制が本格的にがたついてくる。
この年、東独から逃げる人々が増加、人々はハンガリーから不法にオーストリアへと脱出すべく、西部国境に待機していた。9月11日、ハンガリーは東独とのビザ協定を停止、国境を開放し、東独国民がどっと合法的に国境を越えた。ベルリンの壁に穴があくのはその2ヵ月後、11月9日だった。
実は、前年の88年、ハンガリーですでに本質的な変化が起きていた。社会主義労働者党(共産党)は、5月の党全国協議会と11月の党中央委員会で、共産党特有の組織原則である「民主集中制」の放棄についての議論が行なわれ、翌89年2月の党中央委員会でついにその放棄が決定されたのだ。そのすぐ前、1月には、国会で「結社法」、「集会法」が採択され、集会・結社の自由が認められた。「民主化」に向けてハンガリーは、これまでのタブーを破った。
日本の新聞ではべた記事だったが、私は「これで大きな変化が起きるかもしれない」と大喜びして、大事に記事を切り抜き、ノートに貼ったことを覚えている。社会主義体制で、人民の不満が変革の動きへとつながるのをブロックしているのは、この組織原理ではないかと思って注目していたのだ。
ハンガリー西部国境の開放、そしてベルリンの壁の崩壊と、体制をぐらつかせるのに「移動の自由」は大きな役割を持った。金正日体制の打倒を考えるとき、このアナロジーを、私は中朝国境に見た。中国は北朝鮮からの「難民」はいないという立場で、国連難民高等弁務官事務所の活動も許さず、脱北者を摘発しては北朝鮮に送還している。私は、中国に逃れた脱北者の難民認定を推進することの意義は大きいと考えてきた。(高世「金正日体制は平和的に打倒すべきである」)
東欧崩壊の例を学ぶにつれ、周辺国の重要性を改めて認識させられる。ソ連そしてハンガリーなど回りの社会主義体制の動向は、東独にある意味決定的な影響を与えた。
北朝鮮の体制を民主化する方向で、中国、韓国、日本、ロシアが何らかの連携をもつ可能性を追求できないだろうか。日本がさしあたり脱北者の受け入れをしっかりすることは、その第一歩になると思うが、これについてはあらためて書く。
「証言でつづる現代史−こうしてベルリンの壁は崩壊した」で、感慨深かったのは、教会が改革運動のシェルターとして機能し、「集会の自由」を事実上行使できた事実だ。
体制を掘り崩すのに、こうした「自由の空間」は必須である。実は、この欠如が北朝鮮体制変革の最大のネックである。自由の空間の広さは、全体主義と普通の独裁では決定的に違う。だから北朝鮮には、アウンサン・スーチーは存在さえできない。
80年代末の東独は、すでに変質した「全体主義崩れ」の「独裁」だったから、北朝鮮にすぐに当てはめられるわけではないが、自由の空間の確保に教会が利用されているのは非常に興味深かった。他の東欧諸国でも、ガス抜きの意味もあって教会にある程度の自由を与えたが、社会主義体制自体を否定しない限り、意見の自由な表明と議論ができたというのは重要だ。意見を交換するという行為が大事なのである。
北朝鮮ではここ10年で外国からの情報の流入が急速に進み、今やほとんどの国民が、韓国の豊かさや中国の発展を知っているという。しかし、取り締まりが厳しいから、それを他人と話し合うことはできない。情報の流入自体は意味があるが、それを一人で抱え込んでいても、変革には結びつかない。
それでも北朝鮮には、もう一つ重要な変化が起きている。最近逃げてきた脱北者と話す機会があったが、その人が強調したのが、北朝鮮は「金がすべて」の社会になっていることだった。韓国のビデオなど不良思想の取り締まりは今も厳しく、平壌ではときどき、一定の地域を停電にして、デッキからビデオを取り出せないようにしてから家庭内を点検するということまでやっている。しかし、そこで見つかっても(今ならどの家庭も禁止品目をいくつも持っている)、以前のようにすぐに引っ張られることはない。その場で賄賂を出せば、それでおしまいになるからだという。
金による「自由の空間」というのが、北朝鮮のどこかに出てきそうな気配がある。
番組には、他にも、権力末期に誘発される「判断ミス」という現象、デモ隊が掲げた「我々が人民だ」というスローガンの正当性、教会の牧師や著名指揮者クルト・マズアら文化人の役割などいくつもの教訓的な話があるが、また別の機会に書こう。