90年代の国連が乗り出した和平プロセスにも、ポルポト派は従わず、各地で戦闘を起こし、治安を悪化させた。その状況のもとで、日本から派遣された警察官とボランティアが殺されている。
大国の支援がなかったならば、ポルポト派は早くに消滅したはずである。だが、「東西対立」の枠組みが、代理戦争と表現される事態を生み、カンボジアの人々に長い苦しみを強いる結果となった。ちょうど、ソ連のアフガン侵攻が起こった時期でもあり、ソ連・東欧ブロック対アメリカ・西欧+中国の対立は激化していた。
カンボジア大使をつとめた今川幸雄さんは、カンボジアの民衆を深く理解し愛した立派な外交官だが、数年前講演会でこう語っている。
《クメール・ルージュの国際裁判というものをアメリカが強く主張しているが、この時点においてクメール・ルージュを支援するように働きかけたのが中国とアメリカである。それは間違いない事実であり、(略)クメール・ルージュに、11年間にわたってなお国連における代表であるという地位を維持させ続けたのは、実は中国とアメリカ合衆国の働きかけであり、そして、そのもとに日本とかASEAN、一部の西欧諸国というものがそれについてきたわけである。》
ポルポト派延命の責任はアメリカ、中国はじめ国際社会にある。ベトナムがポルポト政権を崩壊させた当時のアメリカは、カーター政権。人権外交を掲げていながら、中国のベトナム侵攻を黙認し、虐殺者ポルポト派を支援し、延命させるというダブルスタンダードを堂々と行なったのだ。
当時、私は日本政府が、国土を実効支配していない「民主カンプチア」への支持をやめ、ヘンサムリン政権への援助に踏み切るよう主張したが、圧倒的少数派だった。後ろ盾がアメリカと中国だったことから、保守派も革新派も「民主カンプチア」を支持するという奇妙な現象が見られた。革新派のなかには、ポルポト派の虐殺などなかったと主張するものまで現れた。かつて「民主カンプチア」を支持し続けた政治家は、いま何の責任も取らずにいる。
カンボジアは、私の人権と国際政治を見るうえでの「枠組」を作ってくれた。国際社会、大国の動向ではなく、その地域の人々の人権を出発点にすべきことを教えられた。
そして今、大国の思惑のなかで、北朝鮮という全体主義国家が不思議な延命を続けている。
(終わり)