埴谷雄高、魂のリレー

takase222007-12-03

こないだ「無限大の宇宙−埴谷雄高『死霊』展」に行った。仕事が立て込むなか、無理して横浜の神奈川近代文学館に出かけた。「海の見える丘公園」のそばのしゃれた建物だ。
かつて、『死霊』(しれい)は近代日本文学の最高峰と聞いたので読んでみたのだが、難しくて第1巻の途中で挫折している。だが、埴谷の対談集や評論を読んで、とてつもなく深いことを考えている人なんだな、ということだけは分かった。写真で見る顔がまた、高潔な表情で実にいい。
数年前、原一男監督の「全身小説家」を観た。がんの手術を受けた作家、井上光晴を死ぬまで追いかけたドキュメンタリー映画で、主要な登場人物の一人が埴谷だった。井上は埴谷を師と仰いでおり、井上に「全身小説家」と名づけたのも埴谷だったという。この映画では、埴谷は作家仲間の宴会で、ひっきりなしに面白いことを言って笑わせるやんちゃな顔を見せ、尊敬に加えて親しみの感情を持った。
「死霊」展は、「死霊」がどのように書かれたかを、埴谷の生い立ちからたどっていくもので、彼の思想形成の全過程に関わる。埴谷雄高(本名、般若豊=はんにゃゆたか)が台湾生まれだということを初めて知った。どこか日本人離れした発想にもこれは影響しているのかもしれない。
埴谷は宇宙論量子論が好きで、宇宙の果ての議論やニュートリノに関心を持っていたという。寝る前にアンドロメダ星雲に思いをめぐらせたといい、彼の命日は「アンドロメダ忌」と呼ばれる。憧れの人と自分に共通点があると知って嬉しくなった。私は毎晩、銀河系をイメージしながら床に就くからだ。
すごいと思ったのは、次の言葉。
「それらが未来から見て愚劣と看做されるものは、すべて、必ず変革されると、私は断言する」
スターリン批判直後の「永久革命者の悲哀」に書いた文章だ。その「未来」の射程が恐ろしく遠大であることは間違いないだろう。
展示会には文献資料だけでなく、フィルムが上映され、講演の音声が流れていた。感銘を受けたのは、ある講演で埴谷が言った「魂のリレー」という考え方である。
埴谷によると、文学には「記録の文学」と「魂の活動の文学」があるという。前者は、それ自体で完結し、作品は読者の向こう側にある。後者は、読者に向かって何かを投げかけ、読者に考えることを強制する。自分はここまで考えた、あとは君たちがより深く考えるのだ、とリレーのバトンを渡すのだという。渡されたものはさらに「魂の活動」を深めて、次の走者にバトンを渡していく。そして『死霊』こそ、その魂の文学だというのだ。
埴谷の言行や読書遍歴で推測すると、彼がバトンを受け取ったのは、ドストエフスキーからだと思う。そのバトンがどんなものか、知りたい。
壮大な埴谷雄高ワールドに酔い、あらためてきちんと『死霊』を読んでみたくなった。