報道と誤解―「どっこいしょ」4

作曲家の服部公一さんと同級生Mは、高校を卒業した後、長い時間を経て再会する。Mとは誰かがここにきて初めて明かされる。
《二十数年のブランクの後、在京同期会に現れた彼、村川政義は、みちがえる程立派な面がまえの日航の国際線、機長だった。
そして、再会後数ヶ月の昭和四十七年十一月二十九日、彼はモスクワ・シュレメチェボ空港で離陸に失敗して墜落したDC8の機長として死んでしまったのである。
 えものにうえていたはげ鷹のように、マスコミはその事件をとり扱い、機長の気のゆるみがこの大事故の原因ではないかとまことしやかな推論をたてた。
 それが証拠には、ボイスレコーダーの録音テープに、
「やっこらしょ、どっこいしょ・・・」という機長のおどけた声が残っているというのである。
 しかし、その衝撃のニュースの中で、私は二十数年昔の松木先生の英語の時間をすぐ想い出し、あのおどけた声が、気のゆるみのあらわれなどでは決してないということを確信していた。》(文藝春秋1974年新年号)

「どっこいしょ」の儀式は、少年時代の村川機長がはじめ、それが生徒の間に広まり、松木先生が「採用」するという経緯をたどったようだ。
先に紹介した渡邉季子さんのエッセイとあわせ、「どっこいしょ」の真のニュアンスは、松木先生とその教え子たちが共有した濃密な空間においてしか理解できないだろう。
事故直前に「どっこいしょ」という言葉が機長により発せられたこと自体は「事実」である。しかし、背景や文脈なしにその言葉が報じられたとき、それは「真実」とは離れていく。こうした例は、報道の現場でひんぱんに起きているはずだ。
「えものにうえていたはげ鷹のように」などと言われないよう、私たち報道に関わる者はこのことを肝に銘じたいと思う。

ところで、ここに引用した服部公一さんのエッセイは、ミステリー作家、北村薫が『謎物語』で「叙述トリックの傑作」として激賞している。普通は、飛行機事故がありました、その機長は自分の同級生でしたという順序で書いていくところを、このエッセイでは英語の授業ではじまり、最後にきてから、機長、事故、「どっこいしょ」があれよあれよと明かされ、前半部分がすべて伏線として利いてくる。この手法は、映像の世界でも効果的に使うことができる。この名エッセイは『巻頭随筆』(文春文庫)に収録されている。
ちなみに、松木先生には私も1年だけ教わった。60歳を越えていたがカクシャクとしており、始業前に廊下で足踏みして待機し、ベルとともにダーッという音が聞こえそうな勢いで教室に入ってきた。そしてすごい速さで英文を板書しては片端からどんどん消していく。ノートを取るのが追いつかないほどだった。
ある日、教室が少しざわついた。すると板書中の先生は、くるりと生徒の方に向き直った。次に先生は信じられない技を見せた。生徒たちをギロリと睨み監視しながら、黒板を背にしたそのままの姿勢で、肩越しにバックハンドで英文を板書したのだ。多少の乱れはあったが、ちゃんと読める字だった。みな、ノートを取るのを忘れてポカンと見ていた記憶がある。ただものではないという、強烈な印象を残した先生だった。
「伝説」に触れることができた私は幸運だった。