雨も降らないと

ゆうべ、帰宅途中にどしゃぶりの雨にあった。
傘もなく自転車に乗っていた私はずぶぬれ。楽しみにしていた皆既月食も見られなくなった。このところ、急の雨に降られることが続いて、かつて、娘が通っていた幼稚園の園長を思い出した。
梅雨時の登園時、あるお母さんが、園の前に立って子どもを迎える園長に「きょうも雨でいやになりますね」と挨拶したところ、園長はにこにこして「雨も降らないと困るのよねえ」と答えた。私はこのことばに感じ入った。

人はいつも、日々起こることに対して、自分の都合を基準に「良い、悪い」、「好き、嫌い」と価値判断を際限なく繰り返している。
人間の苦しみの根拠はここにありそうだ。
園長の答えはこれとは別のレベルにある。構えた場ではなく、とっさの挨拶にこのことばが出るというのは、その考え方がすでに生き方の一部になっているということだ。
雨に降られたときに、園長の「雨も降らないと困るのよねえ」を思い浮かべると、腹も立たなくなる。
ああ、雨が降るべくして降っているんだな、ここで自分が濡れているのも巡り会わせなんだな、などと思えてくる。これは修行ではあるが、楽しい修行である。

この園長は長谷川禮子(あやこ)先生といい、彼女の保育実践に感銘を受けた父兄が自主的に園長の本「おいで一緒に」を出版している。いつかここで園長を紹介してみたい。